《ブラジル》ベッチ・カルヴァーリョ死去=半世紀にわたるサンバの女王

ベッチ・カルヴァーリョ(Kamyla Abreu/TV Brasil)

ベッチ・カルヴァーリョ(Kamyla Abreu/TV Brasil)

 1970年代から現在に至るまで「サンバ界の女王」と称されて来たベッチ・カルヴァーリョが4月30日、入院中のリオの循環器系の病院で亡くなった。死因は発表されていない。72歳だった。1日付現地紙が報じている。
 1946年5月にリオ市で生まれたベッチは、幼いころから、エリゼッチ・カルドーゾやアラシー・デ・アルメイダなどの名サンバ歌手に憧れを持っていた。父親が弁護士だったこともあり、幼少時から、そうした歌手と親しく接することができる環境で育った。
 1965年、ベッチはまず、当時ブームだったボサノバの歌手として音楽活動をスタートさせる。
 だが、数年後には、本来愛していたサンバを歌うことに身をささげるようになる。ベッチは、名門のエスコーラ・デ・サンバ、マンゲーラの所属で、同エスコーラの作曲家兼歌手のカルトーラやネルソン・カヴァキーニョの曲を積極的に歌うようになったことで、彼女自身、そして彼らのサンバ界での功績も世に知られるようになる。
 カルトーラ作の「沈黙のバラ」は、日本のサンバ・ファンにも知られる彼女の代表曲だ。また、ライバル・エスコーラ、ポルテーラのサンバ作家の曲も好んで歌った。
 70、80年代のベッチはサンバ界きっての人気歌手だったが、80年代には、当時、サンバ界の新しい潮流になりつつあった、モダン・アレンジされた「パゴッジ」に着目。今や大御所となったゼッカ・パゴジーニョやフンド・デ・キンタルを後押しする役目も担った。
 ベッチはその後もサンバ界の第一人者として活躍。熱心な労働者党(PT)支持者としても知られ、ルーラ元大統領らとも交流があった。
 近年も積極的に音楽活動を続けていたが、2000年代半ばからは脊椎の病を患い、昨年行われた自身の公演では、ベッドに横たわった状態で歌ったりして、話題を呼んだ。5日にもリオ市で公演が行われる予定だったが、死の数日前にキャンセルが発表されたばかりだった。