臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(100)

 農場の仕事を手伝わせるために雇った玉城といっしょに内地出身の使用人がいた。その戸田つくしはどこにいるのだ? 戸田がいなくなった。銃もなくなった。彼はこの事件に関係があるのではないか?
 署長は事件の山はみえたと考えた。胸の傷跡からみて、自分の胸に銃を発したとは考えられない。使われた凶器はライフルとみられ、それを自分の胸に向けて発砲するのはむずかしい。午吉がウサグァーを殺害しそのあと、自殺未遂したのではなく、第三者が犯人なのだ。というのも、午吉が署長にただ一言残していった言葉が、
「トダがやった」で、署長は戸田をフォダ(ちくしょう)と聞きちがえ、
「たしかにフォダだ。しかし、犯人はだれなのだ?」と聞き返すと、
「トダだ。トダは犯人の名前だ」と答えたのだった。
 では、なぜ戸田つくしがウサグァーと午吉を撃ったのか、それが謎だった。署長は家族や近所の住民から話しを聞き集めた情報で、その経過がおよそわかった。そのことにつき1940年11月26日火曜日の「オ インパルシアル デ アララクァーラ」新聞に次のような記事が出た。

「マッシャードス区
 日本人の間で起きた血まみれの悲劇
 二名が銃で死亡」

「日曜日の夜中、アララクァーラ市の近郊のマッシャードス区は中心人物二人の死を招く悲劇の舞台となった。この地区には日本から移住した蔬菜生産者の所有地が広がり、町の朝市に生産物を供給している者が多い。
 事件は関係者からえた警察の調べによると、保久原正輝所有の農場内でおきた。そこには離婚者嘉数ウサ、戸田つくしそして玉城午吉が雑居していた。
 悲劇の主人公戸田つくしはウインチェスター・ライフルで何発も発砲し、その弾が嘉数ウサと玉城午吉に当ったもよう。女性は即死、男性はサンタカーザ慈善病院で手術を受けたが昨日死亡。
 事件の発生場所におもむいた地域警察署長、ライムンド・アルバロ・デ・メネーゼスはその場で必要な処置を取ったあと、犯行後、逃亡した殺人者戸田を目下追跡中。また、事件の詳しい解明に当っている」

 しかし、なぜ、戸田はウサグァーと午吉を殺害したのだろうか?
 正輝と房子が朝市に出かけているあいだ、注意深く家の様子をうかがっていた隣近所の人たちからの話しを聞くうちに、正輝の謎がとけてきた。『オ・インパルシアル』新聞によると、彼らは雑居しているとあるが、ウサグァーは二人と関係をもっていたようだ。つまり、ウサグァー、午吉、つくしは三角関係だったのだ。戸田つくしはこの状況に耐えられず、二人を殺してしまったのだ。
 事件後、マッシャードス地区で彼の姿を見たものはいなかった。警察も彼を見つけることはできなかった。
 ウサグァーの死亡についてはアララクァーラ司法区、自然人登記所の死亡登録帳Cの047番、243─Vページ、7200番に登録された。1940年11月25日の死亡証明書には「カカズ・ウサ30歳、既婚者、女性、黄色、家事、国籍日本、サンパウロ州アララクァーラ市在住、父母イモレ ジロー、カマともに日本人、1940年11月24日、午前4時、アララクァーラ市マッシャードス区にて死亡」と記載された。