【世界救世教ブラジル宣教本部竣工50周年】55年、ブラジル初入信=一般市民が祝詞上げる時代に

昔撮影した家族写真の下で、馬場貞夫さん(中央右)とその家族

昔撮影した家族写真の下で、馬場貞夫さん(中央右)とその家族

 1955年9月15日、ブラジル初となるおひかり拝受式がミナスジェライス州ベロオリゾンテ市で行われた。拝受したのは馬場乙雄(ばばおつお)さん(長崎県大村市)と妻の松さん。その1カ月後には、9人兄弟全員が入信した。そのうちの一人で同市在住の馬場貞夫さん(さだお、88、二世)は、兄の達夫さん(たつお、91、二世)と妹の美栄子さん(みえこ、85、二世)と共に同式典に参加し、信者を代表して玉串奉奠を行った。
 乙雄さんは開拓布教を始めた中橋稔氏に協力し、同市で20人の信者を増やすことに貢献した。「僕もワゴン車を運転して先生をパラナ州クリチーバ市まで連れていき、クリチーバ布教所が法人登録するのを助けた」と貞夫さんは語る。
 布教の道は簡単ではなく「先生たちはポルトガル語ができなくて、最初は日本語で頑張って広めていた。でも布教した人が警察から信者になったら捕まえると言われ、辞めてしまったこともあった」と笑う。
 貞夫さんは、小田信彦先生がサンパウロ市に残ってくれたお陰で、布教が進んだという。その後も粛々と奉仕活動を続け、69年の宣教本部竣工も見届け、さらに本部で教師になった。そこで知り合った渡辺哲男先生には「妹がリオデジャネイロにいた時にお世話になった」と語り、鮮明に覚えている。
 布教初期から同教団の歴史を見つめてきた貞夫さんは、「一番始めに本部に来た時、僕は泣いた。大勢のブラジル人が日本語で話して、祝詞を唱えている。色々あったけれど皆朗らかで長生きして、信者になって本当に良かった」と微笑んだ。

小山美鳥さん(右)とその家族

小山美鳥さん(右)とその家族

 サンパウロ州ボツカツ市から参加した小山美鳥さん(おやまみどり、78、二世)は、華道山月(さんげつ)流の普及発展に貢献した。サンパウロ州マリリア市出身。両親はアマゾン移民で、パラー州ベレン市に入植した。
 蒸し暑い気候と、マラリア等の病気が流行した問題からサンパウロ州へ移ったという。その頃に祖母がツッパン市で入信、その後、母親も入信した。
 当時、美鳥さんは8年間も重い病気で苦しんでいたが、母親に浄霊をしてもらい1年で良くなった。「たくさんの薬を服用していたけど、それ以来52年間飲んでいません」。奇跡に感動し、自分も奉仕活動を行いたいと67年5月21日に入信した。
 その後、兄の小山ペドロ勇一さん(ゆういち、83、二世)も入信し、家族で奉仕活動を行うことに。美鳥さんは生け花を82年から始めて講師も務めた他、06年に「教授」の資格を取得した。また、コーラスの奉仕活動も08年から行っている。
 「入信して人生も良くなりました。ここまで指導してくださった先生方には感謝しています」と先達への感謝を述べた。