フェルナンダ・ヤング急死=「新しい性のあり方」を提示し続けた作家、脚本家
脚本家、作家、TV司会者として活躍し、ブラジルにおけるフェミニズムのオピニオン・リーダーのひとりでも会ったフェルナンダ・ヤングが25日、持病の喘息に伴う呼吸不全のためにミナス・ジェライス州で急死した。49歳だった。
1970年にリオで生まれたフェルナンダは、大学を3度変わるも、いずれも中退した後、1995年、25歳でグローボ局のコメディ作家となり、翌96年に初めての小説「ヴェルゴーニャ・ドス・ペス」を発表。これが15版を重ねるヒットとなった。
そして、2001年には、人気女優フェルナンダ・トーレス主演の夫婦コメディ「オス・ノルマイス」の脚本家を手がけ、これが大ヒット。ブラジル国内における、新たな妻像、夫像を描いた作品として、今日まで高い評価を受けている。
このヒットの後、女性の言いたい放題の本音を語るGNT局の番組「サイア・ジュスタ」に、ブラジルの女性ロック歌手の草分けであるヒタ・リーらと出演。ここで顔も知られるようになり、パンク・ロック歌手風の全身へのタトゥーや、1920~50年代のレトロ・テイストを組み合わせたファッション・センスでも注目された。
2006年からは5年にわたり、本人が司会を務める「イヒタンド・フェルナンダ・ヤング」がGNTで放送された。その間、2009年にプレイボーイ誌で女性とのキス写真を含むヌードの写真集を発表したかと思えば、2010年には「ジュニオル誌」で丸刈りで口ひげ姿の男装で現れるなど、性表現の限界にも挑んでいた。
その後も、現在まで、小説14冊、テレビの脚本16作と旺盛な創作活動を続けていた。ネットの使用も積極的で、死の前日まで毎日のようにインスタグラムを更新していた。
だが、24日、ミナス・ジェライス州ゴンサウヴェスの両親の家に滞在中、急に幼い頃からの持病だった喘息が悪化。急いで病院に運ばれ、隣接するパライゾーポリス市の病院に運ばれたが、25日午前2時53分に息を引き取った。
フェルナンダには19歳を筆頭に、4人の子どもがいた。
彼女は9月に、自身の最新演劇「アインダ・ナーダ・デ・ノーヴォ」の公開が控えており、そこで主演のレズビアン・カップルのひとりを演じる予定でもあった。(25日付G1サイト、同カトラッカリヴィレ・サイトなどより)