アマゾン火災騒動への違和感を読み解く

INPEによるブラジルの森林火災件数調査のグラフ

 アマゾンが国際世論やネット上でも燃えている――熱帯雨林伐採も森林火災も放置してはいけない。きちんとコントロールしなければいけない。その部分は、はっきりと言いたい。
 その上で、先週からのアマゾンに対する国際世論を含めたボルソナロ政権への批判に奇妙な部分があることを指摘したい。この問題に関して、現政権の肩を持つつもりはない。だが批判する側も、しっかりとした議論とデータに基づいていなければならない。
 フランス大統領や世界的に権威があるメディア、ハリウッドの有名人、超人気サッカー選手が発言しているからといって、簡単に信じてはいけないと痛感させられる。
 たとえば23日付エスタード紙(E紙A18面)は、《アマゾン地方の記録的な火災数は、ジャイル・ボルソナロ大統領の否定的な発言が幅広く報道されることによって、科学者や欧州諸国の心配を強く喚起している。昨日、フランス大統領のエマヌエル・マクロン氏は「国際的な危機」だと語り、G7の議題にすべきだと提案した》との書き出しで報じ、次のような有名人の発言が転載された。
 ハリウッド俳優のレオナルド・ディカプリオはインスタグラムでの投稿で、「大地の肺が火事に遭っている。ブラジルのアマゾンは2週間以上燃え続けている。ジャイル・ボルソナロ大統領が加速させている森林伐採を何とかするために、科学者たちは貢献しなければ」などとフォロアーに語りかけた。
 また超人気サッカー選手のクリスチアノ・ロナルドも同様に「世界の20%の酸素を生産するアマゾン森林が、この3週間燃え続けている。この地球を救うことは我々の責任だ」と声高に訴えた。
 アマゾン森林火災で舞い上がった煙の微小粒子の激増が、実は18日(日)からサンパウロ市でも観測されていたとの記事も読み、事態の深刻さを痛感した。たしかに先週初めにサンパウロ市でも午後2時なのに、まるで夕方6時のような異様な暗さになった日があった。
 同E紙には、エコノミスト誌の転載記事として《森林火災がサンパウロの太陽を覆った/デストピア(ユートビアの反対=反理想郷)のような空は、ゴッサム・シティ(バットマンの舞台となる都市)や指輪物語の世界を思わせた。ジャイル・ボルソナロ大統領は環境活動家のせいにした》という記事も掲載された。

マクロンのツイッター写真は20年以上前の?

昔の写真を使っていたマクロン大統領のツイッター

 ただし、グローボのG1サイトには「FATO ou FAKE」という偽ニュースを見極める検証ページがあり、マクロン大統領のツイッターも俎上に上がっている(https://g1.globo.com/fato-ou-fake/noticia/2019/08/22/veja-o-que-e-fato-ou-fake-sobre-as-queimadas-na-amazonia.ghtml)。3万も「いいねボタン」を押された投稿だ。
 これによれば、マクロンが「地球の酸素の20%を生産する熱帯雨林、我々の家が燃えている」との衝撃的な文言と共に配信した写真は、フェイクだ。この写真を撮影したカメラマンであるロレン・ミシントレ氏は2003年に死亡しており、「とても古い写真」と判定している。
 同氏はナショナル・ジオグラフィック誌で仕事をしていた関係で、70年からアマゾン地域で撮影をしており、90年代にアマゾンに関する本も出版。この写真はAlamyデータバンクで販売されている。
 ハリウッド俳優による別のツイッター投稿にはビデオがリンクされており、あたかも今回のアマゾン火災でインディオが集落を焼失した映像であるかのように紹介されている。これにもG1サイトは「この映像は、ミナス州ベロオリゾンテ都市圏にあるナオ・シャアー族のインディオ女性に関するもの」と判定し、フェイクと断じている。

実はルーラ政権の方が多かった森林火災件数

INPEサイト「国別、年代別の森林火災推移」表

 念のためにブラジル国立宇宙研究所(INPE)サイト内の「Queimadas(森林火災)」(http://queimadas.dgi.inpe.br/queimadas/portal/situacao-atual)で調べ、「INPEによるブラジルの森林火災件数調査」というグラフを作ってみた。INPEが創設された1998年以降の各年1月から8月22日までのデータの比較だ。
 すると興味深いことが判明した。昨年比で火災件数が2019年に激増している。だが、2011年以前はもっと多い。にも関らず「ボルソナロ政権になってから激増した」的な批判になっている。
 新政権が、環境よりも開発を旗印にし、欧州諸国からアマゾン地域の環境問題に関する発言があるたびに「アマゾンはブラジル人のもの。内政干渉だ」というような国粋的な反発をしており、実際に監視機関への予算を削減、環境関連のNGOへの支出を減らしているために、余計に風当たりが強くなっている。
 だが、純粋に森林火災の数字だけをみれば、一番多かったのは「2002年から2010年の間」だ。これは不思議なことにルーラ大統領(2003年1月~2011年1月)の任期にほぼ重なる。
 ボルソナロ陣営からすれば、ルーラの時はもっと火災件数が多かったのに文句を言わず、自分の時だけ「国際的な危機だ」と言っているマクロンら欧州勢には腹が立つ―という感じか。
 特に伯仏は共に農業大国であり、EUメルコスル協定が結ばれた暁には、欧州から良質な加工品や工業製品が大量に流れ込み、ブラジルからは農産品が輸出されやすい構図がある。
 国内で抗議行動の標的にされて支持率がガタ落ちしているマクロン大統領は、農家の支持をえるために、この協定締結に反対する振りをしてみせたいという思惑があると分析する評論家もいる。
 だからマクロンが口火をきって国際世論を盛り上げていると、ボルソナロ陣営では見ている。何でも謀略論のように断定するボルソナロ大統領のいいまわしには呆れるばかりだが、ここ数年だけをクローズアップして「火災が急増した」と世界中から批判の矢面に立たされるのも、ちょっと普通ではない。

なぜか大きく取り上げられない酸素欠乏海域問題

酸素欠乏海域の地図

 「地球の肺」とか「世界の20%の酸素を」という言葉を、皆さんは「その通りだ」と共感されるだろうか?
 サンパウロ州やパラナ州、リオ州だって150年前は海岸山脈から奥地まで、アマゾンに負けない大森林に覆われていた。開拓によって大半が伐採されたが、酸素が薄くなったという話は聞かない。
 空気の約21%が酸素で、そのほとんどが光合成によって作られている。ただし、光合成を行う植物は、地上に生育する樹木や植物だけではない。大気中の酸素の半分以上は、海の植物プランクトンと呼ばれる微生物の光合成によってつくりだされたものだ。
 なかでも、地球上で最も光合成で酸素をつくり出しているのは、「ピコプランクトン」と呼ばれる顕微鏡でも見えにくい小さな小さな海洋性シアノバクテリアだといわれている。シアノバクテリアとは太古の地球から存在する藻のような細菌類(原核生物)の一種だ。
 「地球の酸素」を問題にするなら、もちろんアマゾンの森林火災は大事な問題だが、本来それ以上に問題にされなければならないのは海洋汚染のはずだ。だが、なぜかアマゾンほど問題視されていない。
 地図(http://bit.ly/2La0ykz)にあるように酸素欠乏海域は、海洋汚染が進んだ先進国(北欧、米国、日本)の周りに集中している。だから言わないのか―と推測するのは穿ち過ぎか。
 そして「地球の肺」という表現にも違和感を覚える。肺は「酸素を吸って二酸化炭素を吐き出す組織」であり、「地球の肺」というのなら二酸化炭素を吐き出す地域のはずだ。酸素を供給する地域を「肺」と表現するのは本来ズレている。
 アマゾン地域にかぎらず、森林で生産される酸素や二酸化炭素は、ある一定の地域で循環・消費されるので「地球全体の~」という部分は疑問だという科学者の反論も聞いた。
 アマゾンは4万種の植物と1300種の鳥、そして3000種の魚、430種の哺乳類と250万種の虫たちの宝庫といわれており、酸素よりもその価値こそがもっと強調されても良いのでは。
 アマゾン熱帯雨林を伐採した場所は、大豆畑になったり、牧場になったりする。つまり、そこで育てられた牛、栽培された大豆の大半は中国や先進国に輸出される。彼らが買わなければ、商売にならないから伐採されない。ならば不買運動をするのが一番効果的なはずだ。でもそうならないのは、なぜか…。
 環境問題を最優先するには、先進国が莫大に消費する資源やエネルギーをへらすことが根本的な解決の一つだ。だが、自らの利便性は失いたくない先進国は、資源を提供する途上国側に問題を押し付けようとしている部分がないだろうか。

東洋と西洋で違う「自然」の意味

 それに「地球を守れ!」「自然を保護しよう」的な議論を読んで最も違和感を受けるのは、あまりにも「人間中心主義」的な物言いが多いことだ。本来、人類は自然の一部にすぎないと思う。
 だが西洋文明が世界を席巻して、人間が産業・科学を発達させるに従い、「人が自然を支配している」的な認識が広まっている。「自然を守ろう」という言い方が、すでにオカシイ。あきらかに人間の方が上に立っているようなニュアンスが漂う。
 当り前だが、人間が滅びても自然は続く。むしろ、現状では人間こそが汚染源になって環境を破壊し、自分が生存できないような周辺環境に替えてきてしまっている。
 極端な話をすれば、たとえ核戦争が起きて人類が滅びても、植物や昆虫、一部の動物は生き残り、新しい生態系を作る。人間抜きでも、生態系が自然そのものだ。
 自然は、人間が守ったりできるものではなく、ものごとの摂理そのものではないか。ならば、それを守ろうなどという不遜な考え方をすること自体が、人間を中心に考える「現代の病」そのものだ。
 どうして日本語の「自然」の意味に、人間中心主義が含まれているのかを調べたら、江戸時代にさかのぼると分かった。
 蘭学などでオランダ語のナトゥール(natuur)、英語のネイチャー(nature)の訳語に「自然」があてられたことが間違いのはじまりだった。これで、日本人が元来持っていた自然の意味が矮小化されてしまった。
 というのも、西洋哲学・科学の根本には「人間中心主義」があるからだ。人間は動物の一種にすぎないのに、その上に君臨する「王」のように振る舞っている。これは、「自然環境は人間が利用するために存在する」、もしくは「人間がもっとも進化した存在である」という認識だ。
 これは、ユダヤ教、キリスト教の天地創造史観から来ていると言われる。旧約聖書の創世記の中で神は人間に対して、こう命令している。《神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」(1章28節)
 ここから、人間中心主義に基づくキリスト教文明史観が始まっているという説だ。
 ウィキペディア「人間中心主義」項には、《この「従わせよ」や「支配せよ」は緩やか過ぎる訳語であり、ヘブライ語の原語「kabash」は「鞭打って血を流してでも従わせる」といえるような強い言葉である。このように、「人間は自然を支配することを神から許されている」と信じてきたユダヤ・キリスト教が文明を築く中で、自然破壊が進んできた》とある。
 それに対して、中国や日本でもともと使ってきた「自然」は、物理的な存在を示す言葉ではなく、「猛然と立ち向かった」「毅然と振る舞った」と同じように「状態」を示す言葉だ。
 「みずからなる」を意味し、「人為とは関係なく、おのずからあるもの。山・川・海やそこに生きる万物。天地間の森羅万象」を表す。森羅万象には人間も含まれる。
 西洋と東洋では、明らかに「自然」に対する考え方が異なるのに、訳語としてあててしまったことが間違いだった。

自然を支配するのでなく、畏敬する精神性を

 今の「環境を守る」は、人間が生き残るために必要な部分を言っているに過ぎない。「自然保護」といっている場合の大半は、「人間が生き続けられる環境を守る」と言っているだけだ。
 本当に自然を守りたいなら、人類がいない方が環境は本来の状態を保てる。だから昔から「人類は、地球にとってのガン細胞化しつつあるのでは」という議論がある。
 本来、誰の身体にでもある細胞が、突然に増殖して身体機能を破壊するような存在になってしまうのがガンだ。人類の営みも、必要以上に資源を使い尽くして公害をまき散らす様子が、まるでガン細胞のようだと比喩される。
 人類がガン細胞にならないためには、自然への畏敬が必要であり、西洋文明にはその部分が欠けている気がしてならない。昔ながらの日本文化の中では、人は自然の一部であり、森羅万象は崇拝の対象だ。そんな思想を、日本伝来の宗教団体の皆さんには、もっと頑張ってブラジル社会に広めてほしい。

自然崇拝の地。日本で修験道の聖地とされる星ヶ森の石鎚山(愛媛県)の遙拝所(Reggaeman)

 6月末に開催されるアマゾン中流パリンチンスの祭り「ボイブンバ」を見れば一目瞭然だ。インディオは大森林に深い畏敬の精神を持っている。
 アマゾンのような大自然は「人間の敵」ではなく、まして「人間に利用されるのを待っている資源」でもないと思う。深い森自体が自然崇拝される価値のある場所であり、その認識がブラジル人全体に共有されれば、間違いなく違法伐採されたり、放火されることは減る。「自然を畏敬する精神性」をブラジル人一般に植え付けてほしい。(深)