臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(149)

 マサテル(正輝)という二つの漢字を書いた。はじめの正はたいてい「まさ」と読まれ、臣道聯盟本部で没収されたリストの漢字を読んだ翻訳人は「まさ」と読んだ。ところが、二番目の「ひかる」という意味の漢字は名前に使われた場合、「てる」、「あき」、「とし」、「のぶ」そして、「みつ」と読まれる。どの漢字もはじめの「まさ」に合っている。正輝の父忠道ははじめの「てる」を選び、臣道聯盟の書類を担当した翻訳人は「みつ」を取ったので、「マサミツ」となったのだ。
 名字の「ホクハル(保久原)」を翻訳人が「ホクジョウ」と読んだことについて正輝は息子にこう説明した。「はじめの『ホ』と『ク』は普通こう読まれる。ところが分らないのは三番目の『ジョウ』だ。『ハラ』はごく普通に使われる漢字で、訓読みでは『ハラ』、『バラ』、『ワラ』、また、音読みでは『ゲン』と読まれる。「ひょっとしたら、確認したくなかったのかなあ」といって笑った。もし、「オクハラ」と読まれていたら、同じ名のものはアララクァーラには彼しかいないのだ。大笑いしたものの正輝は恐怖心をかくした。
 その4月5日に警察は高橋先生と会計係の湯田を検挙した。二人とも聯盟支部の指導者だった。高橋先生は本部との連絡係りだった。本部発行の郵送物や広報物を受けとり、それを会員に配った。また、本部に町の状況を知らせ、そして、臣道聯盟運営に会費を送付することも彼の役目で、湯田は代行人だった。
 渡真利成一は臣道聯盟の組織図を作成した沖縄人で、組織図を新しく書き換ていた。会長の根来良太郎はアララクァーラの支部代表者で、二人がいちばん先に検挙され、翌6日、津波元一が捕まった。正輝の検挙は時間の問題だった。名前が翻訳人にまちがって読まれたとはいえ、間もなく警察は正しい呼び名の人物をつき止めたのだ。彼は7日に逮捕された。
 ひと晩、アララクァーラの留置所で過ごし、翌日、二人の警官により汽車でサンパウロに護送された。
 9日、熊本県出身の坂本とくじ、ため夫妻の息子、坂本いとく(69歳)と、山田すえたろう、むら夫妻の若崎生まれの息子、山田しょういち(62歳)が検挙されたが、アララクァーラ市から離れたモトウッカ郡の東京植民地に住んでいたので、正輝は二人を知らなかった。

 正輝の検挙は予想されていたとはいえ、みんなに強い打撃を与えた。房子は妊娠6ヵ月目に入ろうとしていて、大きな腹を抱えていたが、まだ、野良仕事、積荷の手伝い、町までの運搬、朝市に店を出すことはできた。ふつうの体でもそんな作業をするのが大変なのに、今は身重なのだ。
 ニーチャンと呼ばれている長男のマサユキも手伝おうとしたがまだ子どもだ。日本人は14歳になれば一人前の労働力とみなすが、まだ12歳未満で勉強していた。教育は両親にとって、大人となるために最も大切な要素だった。大人がそれほど苦労せずやれる仕事をこなすだけの体格が備っていない。
 房子は絶望した。「どうしよう?」
 そんなとき、彼女は髪の毛が抜ける。正輝がいつ自由の身になれるのか見当もつかない。せめて留置されているのがアララクァーラなら、夫と面会もでき、留置場の責任者と話したりして、釈放までどれぐらいかかるか見当がつく。捕縛された翌日にはサンパウロに護送されていたから、房子にはどうすることもできない。