滞日12年、デカセギ支援も=日本語堪能なブラジル人神父

創立70周年ミサで、聖母婦人会のシンボルを前に説教をするジェニヴァウド神父

 聖母婦人会創立70周年ミサの司式司祭を務めたアントニオ・ジェニヴァウド・デ・オリベイラ神父(46)に「どこで習ったのか?」と尋ねると、2001年から12年まで日本に12年間も滞在していたとのこと。2017年に亡くなった久次神父のあとを継ぎ、同婦人会で日本語による霊的指導をする。
 ジェニヴァウド神父はパラー州カピタン・ポッソ市生まれ。「信者が少ないアジアの国に布教に行きたいと思っていたところへ、総長から『日本へ行きなさい』と言われ、行くことに。司祭になってわずか1週間後に日本へ。最初のミサは高知県の田舎町で、一週間ほどフランス語でやりましたが、やはり日本語を憶えないとダメだと感じて、南山大学で日本語を2年間習った」
 その後、デカセギが多い名古屋教区(愛知、岐阜、福井など)に配属された。「徳川家康がキリスト教を禁止したなどの歴史的な理由もあって、日本人信者は日本で最も少ない教区。だけど今ではブラジル人信者は一番多い場所なんです」。豊橋教会でも主任司祭を6年間やり、午前中は日本語で、午後はブラジル人向けにポ語でミサをあげた。
 「豊橋市役所のすぐ近くに教会があったので、市役所で助けてもらおうと相談に行ってダメだった人が、その足で教会に来るケースがたくさんあった。特にリーマンショック後の2009年とか。ブラジルに帰国するための方法を探して皆すごく困っていた」と振り返る。
 当時はブラジル人少年犯罪も多く、よく警察から電話で呼び出されて少年院などに行き、家族との間に入って通訳をしたり、悩みごとの相談を聞いた。
 アマゾン入植90周年ということもあり、「11月にはパラー州のトメアスー移住地の教会に行くことになっています」とのこと。「私の生まれた町も、日本人移民が持ち込んだピメンタ・ド・レイノのおかげで農業が盛んだった」と日本移民の地域発展への貢献を讃えた。