白旗諒子さん『お日さま』刊行=農業に励む花嫁移民の生きざま

長女・宍戸町吏さんと白旗諒子さん

 イビウナ市在住の白旗諒子さん(76、長野県出身)が、今までに新聞などに寄稿した文章を抜粋して『お日さま』として日毎叢書企画出版からこの度刊行した。
 白旗さんは、1943年7月に長野県に生れ、屋代南高校卒業後に埼玉県入間郡の精神薄弱児施設で保母見習いとして働いた。コチア青年の白旗信(まこと)氏(1960年移住、2次6回)と1964年に結婚して、21歳の時に花嫁移民として渡伯。趣味の陸上の記録も55歳から記載されている。
 1999年の文章に《はるばる遡ること三十八年、陸上部の体育指導の阿部先生より教えていただいたハードルを渡伯後三十五年、五十六歳になる現在実行しうるということは、夢のようなことでございます。十五歳のとき、広大な土地での農業を志し、一九六四年に花嫁移民として渡伯。その後四男三女の子宝に恵まれました。現在サンパウロ州イビウナ市にて電照菊栽培(ビニールハウス四メートル×二十五メートルを二百五十棟)の農作業のかたわら、趣味の陸上は十二年、バレーボールに二十年》というものがある。
 充実した年月が行間から溢れるような記述だ。だがよく読むと、子どもをサンパウロ市の病院に連れていっている間に7人組強盗に入られて、家財を根こそぎ奪われたり、そのすぐ後にも好きなカラオケを楽しんでいる最中に同店に強盗が入り、自家用車を盗られたりと、実は苦労も絶えない。
 夫・信さんの「我が人生に悔い無し」との一文や娘たちの文章も掲載されている。
 来社した諒子さんは「娘に背中を押されて、昨年しぶしぶ始めましたが、完成して本当にうれしい。残念なのは一番読んで欲しかった人に昨年先立たれてしまったこと。白旗家のブラジル初代の歴史を残したかった。どうして来たのか、どんな気持ちだったのか。孫、曾孫にも読んでもらえるように、来年ポ語にする予定です。娘には感謝の言葉もありません」と隣にいる長女・宍戸町吏さん(まり、53、二世)の手を握った。
 宍戸さんも「母は何か大きなこと、大事なことが起きるたびに投稿をしていました。そうして書いたものをまとめて、いつか本にしたいと言っていました。だから元気なうちにと思って急かしました」と笑った。
 関心のある人は日毎叢書企画出版(電話=11・3341・2113)まで、新聞に出てから1カ月以内に連絡を。

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 寄稿文をまとめた『お日さま』を出した白旗諒子さん。タイトルの理由を尋ねると「前から決めていた」とのこと。農業ならずとも、生物全般にとっての中心的な存在、全てに光りを与えるお日さまを讃える精神に、堅実な農家としての心構えが伺える。白旗さんのトレードマークは、女性には珍しい坊主頭だ。何度か「どうしてその髪型なのですか?」と聞いたが、いつも答えをはぐらかされていた。『お日さま』を読んで、見かけをつくろうより、忙しい農作業に集中したり、陸上競技に励んだりすることを選ぶ勤勉な生活哲学がそうさせているのかと感じさせられた。
     ◎
 白旗諒子さんの『お日さま』には、2009年には友人であるコチア青年の下山由夫さん撲殺事件のことも書かれていた。事件の後は、その妻・和子さんから聞いた言葉「夜になると、主人の最後の言葉が耳について離れない」を記し《さぞかしかし無念だったでしょう。下山さん!心からご冥福を祈る日々です。読者の皆さん!このつらい怒りを、何処にぶつけたら良いのでしょうか?》と問う投稿をした。