「杉野先生の教え実践した」=アグロ・マキナス社50周年=南ミナスの白浜清俊さん

苦楽をともにした妻輝子さんと白浜さん

 コチア青年2次6回の白浜清俊さん(80、熊本県)がミナス・ジェライス州カンブイ市に創立した農事関連会社「アグロ・マキナス・ミナス・ジェライス」が50周年を迎え、13日に慶祝ミサと祝賀会を開催し、従業員と友人、関係者ら約100人が駆けつけて祝った。創業当時はこれといった農産物がなく、日本人がほぼいなかった南ミナス地方で、ジャガイモや苺、マンジョッキーニャなどの生産指導をしながら普及に励み、一大産地に変貌させた一翼を担ったのが同社だ。当日は元市長5人に現市長も駆けつけ、地元社会への貢献をたたえた。

 白浜さんがブラジル移住を決意したきっかけは20歳の頃、長野県の八ヶ岳中央農業実践大学校にたびたび講義に来ていた東京農大の農業拓殖学科長・杉野忠夫博士から「君はブラジルに行きなさい」と薦められたことだった。
 農家の四男だった白浜さんは郷里に戻るより南米雄飛を選び、コチア青年として1960年3月に渡伯した。

店内で神父が50周年祝福ミサ

 創業翌年に市長になったルイス・エバンジェリスタ・ランジェウ・パジーリャ氏(97)は、同社屋の設計も担当した建築技師。午前11時過ぎ、同社で行われた慶祝ミサに駆けつけ、「白浜はいい男だ。町に問題を起こさず、常にいい話ばかり持ってくる。特に農業指導を通してたくさんの雇用を生んだ功労者だ」と語った。
 祝賀会の司会をしたジャイール・セリオ・デ・ソウザさんは「彼はこの町の発展を信じて会社を設立して根を張った。この会社は町の発展に直結している。今日は町にとっても重要な日」と功績を讃えた。
 当日は創立時の共同経営者や古株従業員ら5人が表彰された。共同経営者だった石井俊行さん(75、二世)は「最初の13年ほど一緒に経営したが、あの頃はこんなに立派な会社になるとは思ってもいなかった」と感慨深げ。
 もうひとりの創立時の共同経営者・和田新太郎さん(80、群馬県)は3年間一緒に取り組み、今は近くのブラガンサ・パウリスタに住んでいる。「あの頃、この地方の農業は盛んでなかった。ジャガイモを作る半年間は忙しいが、残りは客がいない。そんな時代だった。近くに1400メートルの高地があり、夏はジャガイモ、裏作で苺などを作るようにし、それを普及した結果、今のようになった」としみじみ振り返った。
 来賓のコチア青年連絡協議会の前田進会長は「白浜さんは昔から指導者的な存在。地域がバラバラになっている時、『オレに任せとけ』って言ってまとめてくれた。細かいことを言わず、面倒見が良く、人望がある」と人柄を讃えた。
 白浜さんに50周年を迎えた感想を聞くと、「ミネイロ(ミナス州人)がよく仕事を覚え、働いてくれたおかげ。今じゃ、南ミナスでブロッコリー畑やイチゴ畑はそれぞれ300ヘクタールずつある。農業指導した甲斐があった。杉野先生に言われた『ブラジルに行って農業発展に尽くせ』という言葉を、少しは実践できたのではないかと思う」と述べた。

アグロ・マキナス社の正面

□関連コラム□大耳小耳

 白浜清俊さんの「アグロ・マキナス」社はミナス州カンブイ市中心街に販売店・農機具修理工場、5キロほど離れたところにビニールハウス(100メートル四方)の苗床農場があり、従業員は計16人。扱う商品は芝刈り機、散水機などの機械類から肥料、輸入した種芋、苺やブロッコリーの苗など多岐に渡る。郊外には、「日本にいる時からの夢だった」と白浜さんがいう肉牛飼育場を所有し、常時約250頭を飼う。祝賀会場の3分の2は非日系人であふれ、付き合いの幅広さを伺わせた。