封印されてきたブラジルテイスト発揮=マルシア デビュー30周年で新アルバム

マルシア(提供写真)

 「私たち(日系人)は日本人にはなりきれない。でも、日本人の心を理解する魂は持っている」――2014年11月、サンパウロ州モジ市コクエラ区のふるさと祭りに取材に行った際、たまたま居合わしたマルシアにインタビューした際、そう言われ、けだし明言だと感心した。
 顔を見て、最初はまさかと思ったが、すぐに本人だと分かった。仕事でブラジルに来たついでに、モジに里帰り休暇をとっていた最中だった。突然近づいてきた日系社会の新聞記者に対して、彼女は斜に構えることなく、とても自然体で普通に話をしてくれた。
 今年、日本人入植100周年を迎えたモジ市。祖父は静岡県出身の西家佐登里(にしいえ・さとり)さんで、力行会を通して1930年にアリアンサに入植した。戦中の1943年頃にモジ市に移り住み、柿やポンカンなどの果樹を栽培していた。
 マルシアは1969年2月にそんなモジで生まれ、祖母たかさんが美空ひばりの大ファンだったこともあり、幼いころから歌い始めた。10代の頃にはカラオケ大会にもたくさん出場し、遠くの街まで歌いにいくほど好きになっていた。16歳の時に出場した『TBS歌謡選手権』のブラジル大会では準優勝に終わりに涙を呑んだ。優勝ではなかったので日本に行けるチャンスを逃したからだ。
 でもこの悔しさが、マルシアの負けず嫌いな気性に火をつけ、「絶対に歌で日本に行く」と決心させ、翌年のテレビ東京主催「外国人歌謡大賞」にチャレンジした。そして、この大会ではブラジル代表になることができ、初めて日本に行くチャンスをつかんだ。
 この大会のために来伯し、審査委員長を務めていた有名作曲家の猪俣公章にスカウトされ、17歳で単身訪日し、2年3カ月の内弟子修行を経て、1989年に「ふりむけばヨコハマ」でデビューした。このときの同門で姉弟子にあたるのが演歌歌手の坂本冬美だ。
 その年の年末「第31回日本レコード大賞」では最優秀新人賞を獲得したのに加え、数々の新人賞を受賞した。さらに1990年末の第41回NHK紅白歌合戦へは、同曲のロング・ヒットによって初出場を果たした。輝かしい経歴のスタートだ。

唯一日本の芸能界に定着した先駆者

 ブラジルから日本に渡って歌手を目指した人は10人前後いるだろうが、大半は志半ばにして帰って来た。数少ない例外は、現在も演歌歌手として踏ん張っている非日系のエドアルドだ。

デビュー30周年の記念アルバム『真夜中のささやき』(提供写真)

 日本に渡ったブラジル出身歌手の中で一番、日本の芸能界に定着したのは文句なしにマルシアだ。コクエラでの取材の際、生き残った秘訣を本人に問うと、「たまたまです。いろんな人に助けてもらって今があると思います」とまるで日本の日本人のように謙遜していた。
 訪日当初、最も苦労した点を問うと「私は最低限の言葉しかできないで日本へ行きましたから、日本語では苦労しました」と振りかえる。デビュー当時のマルシアといえば「ございます」言葉を多用した、独特の外国人的な言い回しが話題になっていた。つまり、苦手な日本語を逆手にとって、自分のウリにした。
 そして今年デビュー30周年を迎え、9月11日に記念アルバム『真夜中のささやき』を日本で発売した。10年ぶりとなる新曲を含めた6曲入りのミニアルバム。この新曲は、日本の音楽界のブラジル関係者が力を合わせたという点が特徴だ。

10年ぶりの新曲ポ語バージョンは本人が意訳

 新曲「アレグリア(「喜び」の意)」は、先日のサンパウロ市ビラ・カロン区の沖縄祭りでもライブを披露した宮沢和史が作曲、日本語の歌詞は東京スカパラダイスオーケストラの谷中敦が担当した。スカパラとマルシアは、リオ五輪の文化交流コンサートで共演して意気投合した。まさにブラジルがつなぐ縁が作り出した組み合わせだ。
 マルシア本人から編集部に、こんなコメントが届いている。
 「『ALEGRIA』は、ブラジルの香りがするサウンドに仕上げました。そして歌詞は、この曲を聴いたみなさんが、元気に、前向きに、夢に向かっていけるような、そんなポジティブなメッセージを込めました。この曲を通じて、世界中の人々に幸せの連鎖を起こしていけたらと願っています」とのこと。
 広報資料によれば、作曲した宮沢和史は「マルシアがほほ笑むだけでその場が明るくなり、マルシアが歌い出せばそこにいる皆が踊りだしたくなります。ブラジルに生れ日本を愛するマルシアが〃自分らしさを素直に表現できる曲〃を目指しました」との意図を寄せている。まさに、マルシアのなかに埋もれていた「ブラジル人」を引き出そうとした感じだ。
 この曲には、ポルトガル語バージョンがあり、マルシア本人が意訳し、ユーチューブで公開されている。(https://youtu.be/NJbriJyE-Ds)。とても軽快でリズミカルなボサノバ調の曲で、弾むように、しゃべるように自然に歌っている。これを聴いて、「新境地開拓というよりは回帰したのかもしれない」と思った。
 日本人ばかりの中で、彼女にとっては外国語である日本語だけで30年間も第一線でがんばってきた。そんな彼女だからこそ、人格形成した母語で、今まで封印してきた本来持っているのブラジル・テイストを、今回ようやく出せた感じがする。実は演歌より、ポルトガル語のブラジル・サウンドの方が自然に歌えるのかも―と思わせる仕上がりだ。ぜひ聞いて欲しい。
 また同アルバムに収録されている「リンゴ追分」と「ふりむけばヨコハマ」のライブ収録は、スカパラの金管楽器奏者をゲストに迎えて録音したもので、躍動感あふれる編曲が加わっている。
 今回改めて「ふりむけばヨコハマ」を聞いてみて気付いた。マルシアの師匠である作曲者・猪俣公章は、この曲に「移民の歌」としての裏の意味も込めていたのではないか、と。
 《港離れる外国船を/ひとり見送るホテルのロビー/あなたここに来て/おもいではいらないわ/悲しすぎるわ》。これは、横浜港の大桟橋でブラジルへの移民船を見送った恋人や家族の心境を歌ったものとしても解釈できそうではないか。
 坂本冬美も30周年を祝って、「マルシアさん30周年おめでとうございます! 全く違う文化の中で内弟子として2年間がんばり、そしてデビューして30年。恩師猪俣先生もきっと喜んでくださっているでしょう」とのコメントをよせている。
 デビュー30周年を迎えた心境に関して、マルシアからは「30年もの間、日本で歌手として、また女優として、活動を続けさせて頂いていることにとても幸せを感じるとともに、心から感謝しています。でも、まだまだ自分自身は、今も『通過点』だと思っています。ここからまたキックオフして、更に頑張って挑戦し続けていきます」との言葉が届いた。
 次の週末には、ブラジル人にゆかりのある静岡県浜松市でライブをする。会場「ハァーミットドルフィン」の住所は静岡県浜松市中区田町326―25 KJスクエア2F、電話050―5307―3971、メールhermitdolphin@gmail.com)
★10月26日(土)、①ステージ 12:30開場/13:30開演、②ステージ 16:30開場/17:30開演
 そのうちブラジルでも、30周年記念公演をぜひやってほしいものだ。(深)