臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(160)

 上司や世論の関心を得る最上の機会であり、警察組織のキャリアの道を駆け上ろうと、DOPSの秘密警察署長であり、臣道聯盟の調査の任務を受けたカルドーゾ署長は精力的に働いた。
 4月にDOPSの州第5警察のヴェナンシオ・アイレス局長に任命されて以来、独自の行為、あるいは秘密組織を作って、テロ行為などの非社会的行為を行う日本人の国外追放の任務を遂行するために多忙な日々を送った。
 任命を受けたその日のうちに、彼が最も信頼するオゾーリオ・ロンドン公証人を同伴させ、パラカツー街、96番地の臣道聯盟本部に向った。即座に幹部たちを検挙し、秘密組織のメンバーが作成した証拠物件を押収し調査を始めた。ひと月少しの間に調査用紙は3000枚に及び、その多くは裏表の紙もあった。そのほとんどが署長と公証人によって書かれたものだった。
 この二人だから可能だったのだ! また、この二人といつも同じ保証人により、50日たらずで、臣道聯盟やその支部と関わりのある640人の証言書類ができあがった。平均1日に20人が取り調べを受けたことになる。彼らのほとんどに通訳が必要だった。通訳には日本語の公証翻訳人、ジョゼー・サンターナ、ジョゼー・山城、また、警察所職員の通訳、マーリオ・デ・ボテーリョ・ミランダ、そして、サンパウロ在スイス公使館の職員、森田よしかずがあたった。
 容疑者と保証人の調書を集めるほかに、法律に基づき、必要な執行処置を取らねばならなかった。署長には他の町の警察署に検挙状を発行したり、検挙者をDOPSの牢屋から留置所に移動させたり、ときによっては、アンシエッタ島の牢獄に護送するといった役目もあった。人間だから、寝たり、食べたり、トイレに行ったりするのも当然だった。これらの仕事の合間に、彼は「戦後のニッポニズム」と題して部分的ではあるが、一行60文字、一枚40行の16ページに及ぶ仔細で長文の報告書を作成した。
 このような多忙な日々を送りながら、取調べを始めてから3ヵ月のうちに、470人の日本人を起訴した。80人を国外追放、残り390人は州の社会や治安を妨げるという、1938年5月18日の法令431号に基づき起訴した。
 訴訟文のまず初めに、署長は臣道聯盟の活動についてこのように書いている。

 「世界の強国、枢軸国と米国の戦争は8月15日、日出る日本の無条件降伏により終局をむかえた。この日本敗戦帝国の敗戦により、州の各方面で熱狂的で病的な国粋主義の日本臣民が大和魂という名のもとに、過激的な活動を初めた。彼らは日本暦2606年から自分たちが帝臣民であること、また、裕仁天皇が神である以上、母国の勝利をかたくなに信じた。
 このような状況のなかで、臣道聯盟が再組織された。この秘密組織は戦争中から存在し、指導者である渡真利誠一が『系統だった組織』と書いたように、日系社会の水面下において、広範囲に影響力を広げていた」
 「戦後のニッポニズム」の報告書で、すでにサンパウロ州の各地に広がる国粋主義の組織の名を挙げていたが、署長はこれら過激国粋主義グループの扇動活動について次のように記している。