臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(171)

 恥が気がかりの原因ではない。自分らしさを見つけるきっかけにさえなった。敗戦を認めることが世界観を変え、自分や家族の生きる道標を変えた。まずはじめに1945年の8月から彼をあざ笑っていた敵の方が実は正しかったと認めること。
 認めたあと、どのような態度をとるか、よく検討すること。今となっては帰国の夢をはたすのは不可能で、ブラジルで生きていくほかない。子どもたちはこの地で育っていく。心がどんなに痛んでも、この地に腰をすえ、この地で生涯を終えようと思った。
 なにごとも深刻にとらえず、早まった結論を避ける。その意味で彼はごくあたりまえの人間だったが、ときには正しく分別ある手段を即座にとる人間でもあった。ウサグァーが殺され、彼女の二人の子どもを正式に受け入れ自分の籍に入れたときがそうだった。

 そして、いま、生涯ブラジルで生きる決心をしたのだ。
 この国で長く生活したものには、ごく当たり前のことであろう。しかし、祖国に帰りたいと願う愛国者にとって、国を捨てることはそうたやすくはなかった。過去の一部を放棄するようなものだ。たしかにほんの一部だ。日本で生活した時間は生きてきた人生の三分の一にすぎない。
 しかし、それが彼の性格や人格形成に強く大きく影響していて、忘れてしまったり、これからも決してわすれられない過去なのだ。過去を放棄したり、忘れ去ることに罪の意識を感じていた。牢屋をでて、日本の敗戦を受諾しなければならなくなった心情が、気がかりの原因だったのだ。
 「ここで生きていこう」と自分に言い聞かせた。
 けれども、内心どうしても負け組が許せなかった。彼らが正しかったという考えを、やっとの思いで受け入れた。敗戦をそんなにたやすく認めるべきではなかったし、同胞の間に宣伝して回るべきではなかった。まるで敗戦を喜んでいるようではないか。「彼らは国賊だ」という思いがいつまでも尾をひいていた。

 これらの全てが日常生活に影響を及ぼした。
 終戦いらい、敗戦を受け入れたことについて、同胞の者たちと気兼ねなく話すのは困難だったから、彼らを避けた。そして、勝ち組の仲間と日本人の悪口を大いに話して留飲を下げた。敗戦について決して公に取り上げることはなかった。従って、以前、勝ち組だった日本人とのつき合いは減っていく一方だ。正輝だけがそうだった訳ではない。ただ、彼の開けっぴろげな性格、雄弁さ、激しさがみんなの目を引いたのだ。アララクァーラの日系社会は、他の日系社会同様、真っ二つに分かれてしまい、どうにもならない状況におちいってしまっていたのだ。日本人、日系人クラブや団体の設立は、戦争の勃発、とくに長期にわたる警察当局の日本人集会の禁止で、実現することはなかった。まして、今、どこの日系社会も二つに割れている。そんなことは不可能だ。
 正輝は家では子どもたちに日本の勝利を口にしなくなっていた。マサユキはその年齢から世界の反対側の戦況について知ってはいたが、父親の意見を尊重していた。次男のアキミツは父が敗戦について控えめに語り始めたとき、驚きを隠せなかったが、少しずつ戦争の結果を受け入れていった。