臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(176)

 それは正輝が求めていた行動や思考だった。だからこの宗教団体が発行する書物を手に入れようとする読者が増えていくのは時間の問題だった。谷口の書物を手にしたとき、正輝は大きな衝撃を受けた。1920年以降、宗教関係の本を出した著者は日本精神、いわゆる大和魂を高く評価していた。「生長の家」の書物は強い愛国心を謳った日本精神について書かれていた。
 それが正しいか、そうでないかは別として、敗戦を認めて以来、挫折感を抱えてきた正輝や臣道聯盟の仲間たちに、知的とはいえないが少なくとも精神的な安堵を与えてくれた。敗戦を認めて以来かかえてきた挫折感を癒してくれたのだ。
 「生長の家」の精神的観点では、不幸は苦悩が原因とは考えない。苦悩と不幸は「精神が肉体を脅かした」という誤った考えから生じる。その証拠に苦悩から恩恵をこうむることさえある。宗派は「苦悩が激しければ激しいほど恩恵の心が広まり、かえって、苦悩したことに感謝さえ覚える」と説いている。
 正輝は自分の苦しみをバネにして、精神力を養う必要を感じた。痛々しい過去の経験が生かされ、前進できるのではないかと思った。

 「悲嘆にうちのめされてはならない。暗く悲しみに沈む姿をだれにも見せてはならない。そんな沈んだ、悲しい顔を見せて何になろう。そんな人間に誰が笑いかけてくるというのか。悲しみや辛さを周りの人間にばら撒くだけだ。周りの人の喜びを奪い、人の気を滅入らせるだけだ。悲しみから抜け出すためには気を奮い起こし、勇気をもって自分の殻から抜け出すことだ。国、人類そして恵まれない者たちのため懸命に働け。その効果が現れる日はすぐにやってきて、自分が誰かのために役立っていることに気付く。そして、暗い悲し日のことなど忘れてしまう。なぜなら、神がおまえを認め、祝福しているからだ。そして、神の臨在を間近に感じるだろう」

 このような教えは、正輝の魂を慰めた。
 日本人の家、ことに沖縄人の家で仏壇にさしだす供え物の習慣にも適合する。「生長の家」創立者谷口雅春先生の説は難しくなく、明瞭で、的を得ていた。

 「日本には昔からつづいてきた、よい習慣がある。家のもの誰かが遠く離れたところに旅立ったとき、その人が旅先で健康を保ち、食べ物に不足しないように、食事どき彼のためにみんなと同じ食べ物をならべる陰善をする。これは迷信ではく、留守をしている者の無事を願うよい習慣だ。家族の祈りは精神感応でその者の心に伝わる。たとえ、食べ物が不足するようなときがあっても、家族の精神感応による食べ物で空腹を感じず、きちんと仕事をつづけることができるのだ。

 この世を去った人に対しては、彼らの魂を敬い、真の感応道交を伝えることが「生長の家」の根本的思想だった。

 「世を去り、霊の世界にはいった人間でも、この世での思考や習慣をもちつづける。したがって、肉体は滅びても、その魂は食欲を無くさない。そこで魂を癒すために供え物を捧げる。魂は食べ物そのものを受ける訳ではない。供え物を捧げる者の感応道交を受けるのだ。霊の世界にいる彼らに供え物を捧げるのはそのような意味があるのだ。世を去ったものは供え物という形で捧げられる感応道交に慰められるのだ」