佛心寺創立・曹洞宗南米布教総監部開設60周年祝う!=日欧米州から大挙慶祝来伯

記念行事に携わった僧侶と参列した檀信徒ら

 曹洞宗両大本山南米別院佛心寺(采川道昭住職)は、同寺の創立及び南アメリカ国際布教総監部開設60周年を迎え、記念行事を11月22~24日、サンパウロ市リベルダーデ区の同寺で執り行った。日本、フランス、アルゼンチン、コロンビア、パラグアイなどから60人以上の僧侶が来伯し、檀信徒も参列する中、慶讃法要や先人への供養が行われ、新設した御堂などが公開された。

幻想的な万灯供養の様子(佛心寺提供)

 22日午後には、新設の御堂と庭園の除幕式、本尊の安置を行った。
 23日午後からは、奥村孝善・北海道大雄寺住職が導師を務め、広く健勝と多幸を祈念する慶祝転読大般若祈祷を本堂で厳修した。
 開山堂に移り、佐瀬道淳・静岡県可睡齋齋主を導師に、歴代の住職の恩に感謝し読経する開山歴住報恩諷経、開山塔前にて松井道孝・可睡齋専門僧堂監寺が導師を務め開山歴住墓前諷経を行った。
 その後は本堂で、三部義道・山形県松林寺住職による法話があり、同氏は60年前に移民船「ぶらじる丸」で渡伯した松永然道・元大本山永平寺副監院兼国際部長の逸話を紹介した。同氏は詳しい事情を知らされないまま渡伯が決まり、当地の生活では衛生面などで当惑しながらも、苦労の絶えなかった多くの日本移民と喜びや苦労を分かち合い活動した。
 三部住職は坐禅と洗面の意義を説いた。姿勢と呼吸を整える坐禅を行うことで、怒りに対して理性的に判断できる。洗面については、朝食の後にする人が増えているが、食事は命を頂くことなので、その前に心身を清める洗面をすることが仏道において重要だとした。
 同日夕方には、大導師を中野重孝・福島県長楽寺住職が、納経師を眞崎孝雄・秋田県妙覚寺住職が、検経師を髙橋元英・北海道廣德寺住職と軽部文弘・北海道安楽寺住職が務め、本堂内をろうそくだけで照らし、仏や先祖の供養を行う万灯供養を行い、幻想的な光景が広がった。その後歓迎晩餐会が開かれ、2日目の行事を終えた。
 24日は午前10時から本堂で、乙川暎元・大本山總持寺監院を導師とし、南米全土で布教活動に尽力した僧侶に報恩感謝を表し、南アメリカ国際布教物故者供養を厳修。
 次に導師を喜美候部謙史教化部長が務め、60周年の慶讃法要を行った。法要では、南米での布教の功績をたたえ、ブラジル天随禅寺のソーザ孤圓・南米国際布教師とビッチ大樹・南米国際布教師の僧侶2人、伊藤パウロ勉・佛心寺理事長、上村光代・佛心寺婦人部部長ら檀信徒23人への表彰も行った。
 正午頃には采川住職が導師を務め、檀信徒総回向があった。
 その後は僧侶、参列者で記念撮影を行い、記念祝賀会が開かれ、約250人で盛大に節目を祝った。
 祝賀会で関係者に話を聞くと、上村婦人部部長(74、二世)は、息子を亡くして落ち込んでいたところに、母が寺の手伝いを勧め、義父が曹洞宗の信徒だったことから同寺の活動に参加したという。「僧侶や婦人部の方々と楽しく活動し、精神的に助けられた。だから感謝の気持ちで楽しく活動を続けている」と笑顔を見せた。
 伊藤理事長(83、二世)も「佛心寺を支えてくれた歴代の檀信徒らに感謝したい。寺はとても大切な存在。仏道を知ることで、先祖を敬う心が身にしみ込んでくる」と穏やかに語った。

新しい3御堂と庭園公開=「全ての命が救われるように」

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 佛心寺創立60周年記念行事の初日(11月22日)に、敷地内に新設された御堂と庭園が公開された。待鳳堂、瓏仙堂、放光室の3つの御堂と、庭園「盡光苑」が新しく設けられ、以前から使用していた大広間が紫雲堂と名付けられた。
 待鳳堂は今後貸し会場として広く利用してもらう予定で、田原良樹副住職は「100人以上が収容できると思う。集会や展示場として利用できるのでは」と述べた。
 瓏仙堂は薬師瑠璃光如来が本尊の納骨堂で約350戸を設置。除幕式と本尊の開眼供養は武内宏道・大本山永平寺副監院が務めた。放光室は、高階玉光・福岡県安国寺住職が導師として除幕式と涅槃軸開眼供養を行った。ペット供養のための場所で、室内には釈尊の入滅を描いた涅槃軸が掛かっている。
 この2つの御堂はシンプルな造りだが、間接照明が用いられ、現代的なデザインだ。
 盡光苑は大木や草木の緑が優しく映え、入口には過去・現在・未来の全ての命に供養をささげる三界萬霊塔が立ち、苑内には盡光地蔵菩薩像と、環境芸術家の豊田豊氏が制作したモニュメントが安置された。塔の開眼供養は田中清元・北海道薬王寺住職が、庭園の除幕式と地蔵菩薩像の開眼供養は加藤哲雄・北海道法龍寺住職が、モニュメントの慶祝諷経は高階住職が導師を務めた。
 待鳳堂、紫雲堂は江川辰三・大本山總持寺貫主が入口の扁額を揮毫。御堂の名前も同寺の建物から由来している。瓏仙堂、盡光苑は福山諦法・大本山永平寺貫首によるもので、瓏仙堂は曹洞宗の南米での開教に大きく貢献した当時の曹洞宗管長・髙階瓏仙の名前をとったもの。盡光苑は新設にあたり采川住職が命名した。放光室の扁額は鬼生田俊英・曹洞宗宗務庁宗務総長によるもので、名前は總持寺の建物から由来する。

放光室内の涅槃軸(佛心寺提供)

戦後始まった佛心寺60年の歩み=曹洞宗南米布教はペルーから

 日本から遠く離れたこの地で、佛心寺は曹洞宗の南米拠点として活動を続けてきた。ここでは佛心寺の創始につながる、南米での曹洞宗布教の歴史を紹介する。
 曹洞宗の南米布教は古く、100年以上前にペルーで始まった。1903年、上野泰庵師が第2回目の移民船でペルーに渡り、南米での曹洞宗の布教活動が始まった。1907年には上野師と移民が協力し、カニエテに南米最古の仏教寺院・慈恩寺と同じく南米最古の日本語学校を建立した。
 一方、ブラジルでは1952年、戦前移民の檀信徒が布教発展を願い、当時の髙階瓏仙・曹洞宗管長に要望書を提出した。55年、髙階禅師が80歳の高齢ながら来伯し、3カ月間ブラジルを巡錫した。翌56年には新宮良範師が初代南米開教総監に任じられ、ブラジルでの布教活動を開始した。
 59年には総監部と両大本山南米別院佛心寺が設立され、翌60年に現在の場所に移転。95年には本堂が落慶し、2009年の創立50周年の際に坐禅堂や開山堂を備えた大鑑閣が完成した。
 現在は布教活動の他にも、月に一度「アパレシーダ観音無遮施食会」と称し、法要の際にカレーを無料で振る舞う活動や、婦人部主催でバザーや手芸教室が行われている。