援協=ボランティアの謝恩忘年会=功労者 故高桑さんの冥福祈る

ボランティアと援協関係者

 サンパウロ日伯援護協会(与儀上原昭雄会長)は、日伯友好病院で使われるシーツや病院着を縫製するボランティアへの謝恩忘年会を10日、サンパウロ市の援協本部ビルで開いた。ボランティア14人と援協関係者約15人が参加し、援協側はボランティアに謝意を示した。
 ボランティアは現在15人ほどで、週に一度サンパウロ市リベルダーデ区のアパートに集まり、同病院で使われるシーツや枕カバー、病院着などを朝から夕方頃まで縫製している。この1年では52回活動に集まり、約4千点を製作した。
 同病院の天内ワルテル院長は、「陰で支えてくれるボランティアがあって病院が成り立っている。高齢の人もいる中、長時間の作業を行ってもらいありがたい」と感謝。与儀会長も「支えてくれたボランティアのおかげで、援協は大きな組織に成長でき、多くの人を助けられるようになった。私たち理事もボランティアなので、同じように援協のために尽力したい」と謝辞を送った。
 1987年の活動開始から参加する山下光子さん(88、二世)は「他人のために何かしたいと思って活動を始めた。今では週に一度皆で集まるのが楽しみ」と笑顔を見せた。
 現在の日伯友好病院がまだなく、サンパウロ市のブラジル日本文化福祉協会ビル内に援協が診療所を構えていた87年に活動が開始。当初は7、8人で、最も多い時には30人ほどだったという。
 忘年会では10年にわたり活動に携わり代表の役割も務め、5月に78歳で死去した高桑ヨシタカさんに関する動画が映し出され、ボランティアの中には涙ぐむ様子も見られた。
 高桑さんの代理として参加した姪の永野ふみえさん(61、三世)は「おじは援協にとても良くしてもらった。私からも感謝を伝えるとともに、今後活動に参加したい」と語った。
 ボランティアと援協は記念品を贈り合い、昼食を楽しんだ。

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 日伯友好病院のために活動するボランティアへの謝恩忘年会が10日にサンパウロ市の援協本部ビルで開かれた際、山下光子さんは「きちんと取り組みたいから、作業中は皆静かに集中している」と語ったのを聞き、「ボランティアの鑑」だと感心した。常々、「無償の奉仕だからといって決して手は抜かない」との精神で活動しているとのこと。何をやるにしても、このようなボランティアの「プロ意識」を見習いたいところだ。