臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(221)

 ほかの業者より苦しいことを察し福知は、ニンニク1箱の原価だけを受け取った。ニンニクの箱は底が六角形の角柱という変わった形で、板一枚はずせば中味がとりだせる。ニンニクは白い皮に包まれているので、そのままでは見かけが悪い。桃色の皮が出てくるまで白い皮をむくと、客の目を引いた。正輝はニンニク玉を四つか五つのひと山にした。ひと山には大小、あるいは見かけのよし悪しが平等になるよう気を配った。このような山売りにしても、正輝が考えていたように売れ行きは伸びなかったのは、ニンニクは消費率の低い品物だったからだ。玉から外れたひと片は別の山にして少し安く売った。
 朝市が立つ朝6時から12時、あるいは午後1時まで働くので、家族を養う家長としての役目を果たしているという気分になった。いつもの習慣で商売について細かい計算をしなかったことが幸いしたというべきか。もし計算していたら、懸命に働いても、経済的になんの足しになっていないことを、確実にそして即座に気づいたはずだ。こんどの仕事はバールにビールを飲みに行く金もなく、また、あったとしても、その間、屋台を見ていてくれる人もいなかったのだ。
 はじめの2、3回は屋台を提供している友だちからニンニクを買ったが、そのあとは輸入商や大きな卸業者から直接買うようにした。週に2、3回サンタローザ街の中央卸市場周辺にある卸屋にでかけた。その辺には穀物、じゃが芋、玉ねぎ、にんにくなどの卸問屋が集中していて、1、2箱のニンニクが購入できた。バスで運び、そのあと、背負って家まで運んだ。家からは箱一杯のニンニクをバスで朝市に運んだ。
 量をたくさん売るための販売価格をできるだけ抑えた。儲けは原価の20%以下にした。1日に1箱売れれば、いくらかの儲けがでたが、客が多い日でも半箱売るのがやっとで、残りを家にもって帰ることになった。
 3ヵ月ほど朝市の仕事をつづけてみたが、結局、まったく将来性がないことがわかった。
 再び正輝の苦境を救ってくれたのはネーヴェス氏だった。市役所のコネと手続き代行人の知識を発揮して、2ヵ月という短期間で、正輝自身の屋台がもてる許可を手配してくれたのだ。一つが2メートルの屋台が三つ分、つまり、全長6メートルの売り場が使えるのだ。これだけスペースがあれば、いろいろな品物を並べることができる。ほかの業者のような売り上げを出すことはできないかもしれないが、ほんの少しの経験はある。なにはともあれ、細々と儲けもほとんどないニンニクの屋台をつづけるよりずっとましだと思った。
 何を売ったらいいのだろうか? 利益の多いものといえば、穀物類、果物、じゃが芋、トマト、玉子、肉などがあげられる。だが、そのためには資本金が高くなる。値段の変動があるし、運送費を考えると、毎日購入する訳にはいかないので、何日もいや、何週間も在庫する必要がある。
 そのために家族の食費を賄うにもたいへんな正輝に資本金などあるはずがない。上の息子たちの給料をかきあつめて、屋台や屋根をつくる材料の費用を出すのがやっとだった。ブラジルに着いて以来身につけた大工の仕事が幸いし、正輝は自分で屋台を組み立てた。何を売るか? 毎日仕入れできる物、それには明け方カンタレーラ中央卸市場で買える野菜類がいい。自分がよく知っている品物なのだ。