そろそろ「日系7団体」にしては?

2月28日、聖市立劇場で行われた天皇誕生日祝賀会で、万歳の音頭をとるブラジル日本商工会議所の村田俊典(としふみ)会頭

 毎年の新年祝賀会に始まり、昨年4月には「新天皇ご即位・新元号『令和』祝賀晩餐会」、今年2月には天皇陛下の還暦を祝ってサンパウロ市立劇場で盛大に行われた天皇陛下誕生日祝賀会など、日本との繋がり深い大事な行事は「日系5団体」が申し合わせて計画する。
 この5団体は、言うまでもなくブラジル日本文化福祉協会、ブラジル日本都道府県人会連合会、サンパウロ日伯援護協会、ブラジル日本商工会議所、日伯文化連盟(アリアンサ)のことだ。
 5団体の果たした役割の中で、最も大きかったのは2011年3月11日に起きた東日本大震災に対し、3月14日からすばやく実施した災害義捐金の募金キャンペーンだ。日本赤十字社に送金された最終合計金額は、ニッケイ新聞集計では366万9616・56レ(1億7929万6031円)に上った。
 また2014年のリオ五輪時には、日系5団体が日本人観光客に安全PR対策を練って、緊急時連絡先カードを旅行社を通して配布したことは記憶に新しい。
 戦前の「御三家」といえば総領事館、海外興業株式会社、文教普及会などの日本からの出先機関だった。それが戦後には日系社会中心機関(文協、援協、県連)を示すようになり、いつの頃からか「日系5団体」になった。これは定款をもったカチッとした組織ではない。だが緩い横の繋がりを保ちながら、日系社会の中核となる大事な役割を果たしてきた。
 なぜ5団体になったかといえば、日系社会が日増しに大きくなり、多様性を増して、本来の大黒柱である文協だけでは手が届かない日系社会の構成員が増えてきたからだろう。
 特に気になるのは、5団体の会員、構成員がどんどん高齢化していることだ。若手が多く、十分な伝統と組織を持つ日系団体を加えた方がいいのではないかと、前から思っていた。
 そこで「日系7団体」にしてはどうか――という提案をしたい。

日本語や文化の南米普及拠点「日本語センター」

ブラジル日本語センターが1月下旬に開催した「第34回汎米日本語教師研修会」にはブラジル国内を始めペルー、ボリビア、ベネズエラ、コロンビア、パラグアイの6カ国から参加

 たとえば「ブラジル日本語センター」(日下野良武理事長)は350もの日本語学校を束ね、日本語教師の研鑽を深めるための重要な団体だ。
 同センターは85年の設立以来、日本語教師養成や独自の教材開発、国際交流などの活動を続けてきた。1千人を越える日本語教師を育成し、毎年約2万人の学習者を支援している。北はアマパー州、西はロンドニア州、南は南大河州の日本語学校と直接に繋がっている稀な組織だ。
 さらにペルー、ボリビア、パラグアイなどブラジル同様に日系人の学習人口が多い南米諸国からの教師研修も受け入れており、まさに「日本語教育の南米中核拠点」だ。
 その功績から、国際交流基金本部の「基金賞」を2016年に受賞した。コロニアではあまり知られていないが、1982年に黒澤明(映画監督)、翌83年にドナルド・キーン(コロンビア大学教授/日本研究)、88年に小澤征爾(指揮者、ボストン交響楽団音楽監督)、最近ではノーベル文学賞候補の多和田葉子(小説家、詩人)も受賞したような権威ある賞だ。
 歴史を遡れば、「コロニアの日本語教育機関の一本化」を目指して、ブラジル日本文化協会(当時)が国際交流基金の依頼を受けて、1985年に内部組織として「日本語普及センター」を設立した。
 これにアリアンサ日本語普及部、旧ブラジル日本語学校連合会が合併し、1988年に独立して、正式に「日本語普及センター」(CENTRO DE ESTUDOS DA LINGUA JAPONESA、現ブラジル日本語センター)が発足した。
 本来ならこの時点で、アリアンサの代わりに日本語センターが5団体に入っても良いぐらいの組織統合だった。同センターこそが、ブラジルの日本語教育業界における中核組織だ。
 中でも日下野良武理事長は2018年に就任して以来、日本の国会議員グループの日本ブラジル国会議員連盟(麻生太郎会長)に強く働きかけ、特別に講演会を行ってブラジル日本語教育の現状を訴え、日本語教師の待遇改善や日本就労予備軍への事前日本語教育の重要性を説明して来た。その結果、本来は在日外国人向けの法案『日本語教育の推進に関する法律案』の中に、在外の日本語教育も含まれることになった。
 その法律が今年から始まる。日本語・日本文化普及という意味では、大きな節目の年と言える。それだけの役割を果たしてきた団体だからこそ、日系代表団体に入れて、その発言を重視しても良いのではないか。
 90年代までは日本との太いパイプを文協が持っていたが、現在では各県庁と密接につながる県人会を傘下におく県連の方が、絆を強めている印象だ。日本との繋がりを保つことは日系社会の最も重要な命題でもあり、その補強という意味でも日本語センターの存在は重要だ。

5千家族の会員を抱えるマンモス日系団体「日本カントリークラブ」

栢野定雄さんと山本勝造さん(日本カントリークラブサイトより)

 もう一つ付け加えたい団体がある。「日本カントリークラブ」(佐々木ヴァルテル理事長)だ。伝統のスポーツクラブであり、2004年に当時の栢野定雄会長に取材した際、次のコメントを聞き、記事を書きながら心底驚いた覚えがある。
 《会員数は約6千家族、3万人。二、三世層が中心で、純日系が7割5分と大半を占め、混血が1割5分、残り1割の非日系だそう。栢野会長は「だんだんガイジンが増えるかと思っていたが、そうでもなかった。でも、混血の割合は確実に増えている」と分析する。
 1968年から続く伝統行事、8月の地蔵祭り(日本フェス)には5千人、5月の運動会には6千人が参加し、1200台収容の駐車場も一杯になるという》
 こんな組織は、ブラジル広しと言えど他にない。しかもスポーツ団体だから常に若者が多い。構成員の高齢化が進む多くに日系団体において、これは特筆に値する素晴らしい特徴だ。
 奇しくも今年60周年を迎える。その式典が7月4日に予定されている。
 歴史を紐解けば、かの農産物仲買商、貿易商として有名な山本勝造氏(1909~1995年、兵庫県姫路市出身)が日本カントリークラブの創立中心人物の一人だった。彼とモトイエ・ソウイチロウ氏がアルジャー市に所有していた土地10アルケール(約24ヘクタール)、当時はまだ森林だったところにスポーツクラブを作ることを企図した。
 最初の5年間で1千人会員を実現し、会費を投資に回して一つ一つ施設を作って広げた結果、現在の巨大なスポーツ総合クラブになった。
 1960年から33年間もの長きにわたって、山本氏は自ら同クラブ理事長を務めて施設の充実を図った。その右腕になったのが、二世建築技師のパイオニアだった栢野定雄さん。彼は1993年から16年間も二代目理事長を務め、通称「山勝さん」が描いた理想の実現に邁進した。
 現在、同クラブサイト(https://www.nipponcountryclub.com.br/o-clube)によれば会員は5千家族。聖市から車で30分という好立地に、5万6千平米の土地を持ち、5種類の体育館、サッカー場5つ、テニス18コート、50メートルプールを始めとし、ホテルまである。
 日系スポーツクラブとしては、北中南米合わせても最大規模を誇る。

山勝さんが育てた「子ども」たち

 山勝さんは1932年にサントス丸で23歳の時に夫妻で渡伯。1958年に日本の佐渡島金属と合弁で特殊電球の製造会社サドキン電球株式会社を設立。1951年には日本商業会議所準備委員会(現ブラジル日本商工会議所)から参画して初代理事となり、翌52年には副会頭として永年わたり企業人として会議所を支えた。
 それに加え、1946年から始まった知識人サロン「土曜会」のメンバーで、それを元にした1965年の「サンパウロ人文科学研究会」(現サンパウロ人文研)創立に関わり、その後も理事長としてポネットマネーを投じて経営の安定化を図り、必要な史料購入を支え、研究者育成にも力を注いだ。
 コロニアの商業面の発展には会議所、知識面の振興には人文研、体力・健康面の発展には日本カントリークラブという具合にバランスよくコロニアの来たるべき将来像を見渡して投資していた稀有な人物だった。
 同クラブは昨年初め、昔の東京銀行(現・東京三菱銀行)のクラブを購入した。1・5キロしか離れておらず、優良設備や豊かな自然を持つ施設で、手狭になっていた施設を拡張するものとなった。今後も有力な日系団体として続き、後世への財産として残せる投資といえる。
 山勝さん夫婦には子供がいなかった。物理的な子どもの代わりに、山勝さんは幾つもの団体を手塩にかけて育て、私財を投じて大きく成長させた。その代表格が日本カントリークラブだ。
 「通常のAssociacaoでなく、娯楽やレジャーなどを前提としたClube組織であることが代表団体の品格としてどうか?」という声もあるかもしれない。だが、「楽しい活動」ができるから若者が集まる。そして十二分に真面目な活動をしている団体であり、ここは形式論や書類上の話は置いておき、「日系社会の核を強める」という本質に注視したい。

サンパウロの核を強めることで全伯に影響を

 「7団体」になることは、世界でいえば「先進国首脳会議」(G7)が近年はG20になったのに似ている。
 「7団体」になったとしてもサンパウロ州内がほとんどだ。本来は全伯各州の連合会との関係を、もっと緊密にする必要がある。テレビ会議システムなどを使って、そのための取り組みを7団体にはやって欲しい。
 どんなにジャパン・ハウスが話題になったところで「一点」からの数年間ていどの情報発信だ。ところが、全伯の日系団体が手を組んで取り組めば、広大な国土において約400団体が同時に「面」として、今後100年、200年に渡って日本文化を発信できる。
 そのためには、核となるサンパウロの日系団体の代表が、全伯の190万日系社会に相応しい力強さ、発信力を持たないといけない。
 ジャパン・ハウスと全伯日系団体が共通の目標を持ち、有機的に手を組んで日本文化発信していけば、まさに鬼に金棒だろう。やりようによっては不可能ではない。
 今年は日本移民112年、日伯外交樹立125年でもある。日系5団体代表の皆さんに、真剣に検討することをお願いしたい。(深)