『余は至高の総統なり』訳出終了=刊行までに横たわる数々の難題=パラグァイ在住 坂本邦雄

故アウグスト・ロア・バストス氏
(FF MM/CC BY-SA)

 厚かましくも自分の非力を顧みず、故アウグスト・ロア・バストス氏(1917年―2005年)の『Yo el Supremo=余は至高の総統なり』(1974年)の邦訳に、長らく挑戦していた。
 だが、この度ヤッと終わった。
 彼はパラグァイが誇る大文豪で、スペイン語語圏内ではノーベル文学賞と謂われスペインの1989年度セルバンテス文学賞を、この作品で受賞した。パラグァイ史上最も著名な作家であると同時に、ラテンアメリカ作家の中でも最重要人物の一人である。
 訳出作業中に、昔の大事故や脳神経科手術の後遺症のせいかどうかは知らぬが、急に身体が不自由になり、自宅蟄居の静養事情により、件の邦訳も自ずと牛歩遅々たるを得なくなり、どのぐらい?の時間を要したか、今では数えるのも言いたくもない。
 もともと、このロア・バストス著『余は至高の総統なり』の邦訳は、先に2016年7月に和訳出版された、『ギュンターの冬』(フアン・マヌエル・マルコス著、東京の悠光堂㈱より発行)の例に発想を得て、また勇んで取り組んだ新たな“超翻訳”とも言えるチャレンジだったのだ。
 その内容は、ミゲル・デ・セルバンテスの有名な古典小説『ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』に着想を得た作風だ。ドン・キホーテ(騎士=至高の総統)とサンチョ・パンサ(一寸間抜けで忠実な従士=パティーニョ)が敢然と示した愛国精神により、独立後未だ間もないパラグァイの存立が、内外の敵からいかにして護られたが、読み取れる。
 率直に言って、この本は原書そのものが古典文学風で、クロノトポス(時空間)が偏ったりで、敬遠されている趣が有るのも否めない。
 その難しい文芸翻訳であって見れば、題材自体が日本では余り知られていないパラグァイに関する事ともなれば、自ずと語学力以外に、現地のネイティブの感覚も充分に併せ持たねばならない道理になろう。
 この意味において、訳者の私はパラグァイ在住が85年にもなり、この国の事情は良く知っていた心算だった。だが、この度『余は至高の総統なり』の邦訳をやりながら、改めてパラグァイの歴史を再び勉強させられた思いがした。
 その荒筋を申せば、1811年にスペインから独立したパラグァイは、Dr・ガスパール・ロドリゲス・デ・フランシア(至高の総統)が死亡する迄の長期間(26年間)の、厳しいが極めて清廉な鎖国圧政の下に富強になった。
 そのパラグァイを受け継ぎ、善政をもって国政を改革発展させたのが、歴代最初の大統領ドン・カルロス・アントニオ・ロペス氏だった。
 地域の周囲諸国から常に睨まれ、眼の上のタンコブの様に敵視されては、ますます強国になりつつあった我が国を護るには、「決して武力による事なく、友愛外交のペンに頼れ」と、次期後継の大統領に選ばれた長男のフランシスコ・ソラーノ・ロペス(後の元帥)に対し説いていた。
 しかし、この遺言も虚しく、その後の情勢は、遅くならない中に早くパラグァイを叩き潰さんとした隣国アルゼンチン、ブラジル、ウルグアイの悲惨な三国秘密条約は避けられず、結局は1864~1870年の忌わしい5カ年にも及んだ「三国戦争」は、今でも隠然として悔悟の歴史の片隅に残っている。
 これらの、人によっては余り思い出したくない事を教えて下れるのが本著である。
 実をいうと、訳者が何故このような古典的大作の邦訳を敢えて志したかを糺せば、幸にして長生きすると、周りに迷惑を掛け続け、失敗や恥を搔く事も多いが、未だ自分で出来る事が有るとすれば世間のために何か残すべきだと考えた。
 その一つとして、例の『Yo el Supremo=余は至高の総統なり』の邦訳出版を計画しようと思ったのである。
 これが、日本では未だ数少ないパラグァイ文学の、惹いては歴史、政情等の紹介を促進する、文化交流の一助ともなれば幸甚である。
 いまだこれからの課題は、いかしてその印刷及び発行迄に漕ぎ着けるかのチャレンジが残る。だが、これを成功させない限り、訳者の願望は果たされた事には成らない。