《ブラジル》モラエス・モレイラ急死=伝説のバンド、ノーヴォス・バイアーノスのリーダー

モラエス・モレイラ(Wilson Dias/Agencia Brasil)

 ブラジル音楽界を代表するミュージシャンの一人で、バンド、ノーヴォス・バイアーノスのリーダー、モラエス・モレイラが13日、心不全によって死去した。72歳だった。
 モレイラが亡くなったのは13日の午前6時頃と考えられている。彼はリオ市ガヴェア地区にある自宅でひとり暮らしをしており、家政婦が訪れた時はもう既に息を引き取っていたと、モレイラの親類は語っている。
 1947年にバイア州内陸部で生まれたモレイラは、19歳の時に州都サルバドールに移った。1960年代後半のサルバドールといえば、「トロピカリズモ運動」を起こしたカエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジルで知られるが、モレイラもその頃、トロピカリズモ運動の立役者の一人のトム・ゼーと知り合っている。

 モレイラは68年にバンド、デゼンバルゴス・ドス・ビッショスを結成。そこに女性シンガーのベイビー・コンスエロやギタリストのペペウ・ゴメスが加入し、ノーヴォス・バイアーノスに発展していく。
 バイアーノスは1970年にデビューするが、彼らの名を一躍高めたのが、1972年に発表した2枚目のアルバム「アカボウ・ショラーレ」だ。このアルバムにより、彼らは、サンバとロック、ボサノバにブラジル北東部の伝統音楽のバイアンを組み合わせた独自のサウンドで注目された。本作は2007年にローリング・ストーン・ブラジル誌が行った「ブラジル音楽史上最高のアルバム」の企画で、見事1位に選ばれている。
 ただ、今日の評価とは裏腹に、彼らは商業的な成功には恵まれなかった。モレイラは、移住したリオでヒッピーのような生活を続けた末、75年にバイアーノスを脱退。むしろ、76年にソロで発表した曲「ポンボ・コレイオ」で一般的にはヒットした。その後、バイアーノスは79年に解散。ベイビーやペペもソロで成功した。バイアーノスは個々のメンバーのその後の成功で再注目された。
 こうした後からの世代を超えた再評価に支えられ、バイアーノスは1997年と2015年に再結成。その時に行ったツアーも大盛況に終わっていた。
 モレイラの死に関して、ジルベルト・ジルをはじめとしたミュージシャンやルーラ元大統領などの政治家が、続々と追悼のコメントを行っている。
 なお、大勢の人数が集まるとコロナウイルスの感染が拡大する可能性があるため、葬儀に関する情報は抑えられている。(13日付G1サイトなどより)