中島宏著『クリスト・レイ』第2話

 一九三〇年代は、世界中からのブラジルへの移民の流れが最盛期を過ぎ、やや、その勢いが衰え始めたという時期に当たっている。
 とはいうものの、毎年のように移民としての外国人たちが、後を絶たないという感じでやって来るという流れは、まだ相変わらず続いていた。ただ、ドイツやイタリアからの移民は徐々に減少し始めており、あの十九世紀後半に見られたような勢いはすでになく、その流れはかなりなだらかなものに変わりつつあった。
 一方で、日本からの移民は最盛期を迎えたという感じで、年々、その数はコンスタントに高水準が続いているという状況にあった。最初の日本移民がブラジルに着いた一九〇八年六月から数えると、この時点ではすでに二十数年が経過している。
 ブラジルに対する知識がまったくなかった日本人移民の初期と比べると、この頃は、全体としてやや落ち着いてきた感じであったが、それでも、平均した所得は相変わらず低い水準に止まったままであり、これでは一攫千金どころか、最低限の生活から脱出することすら危ぶまれるという環境にあった。
 もっとも、これは世界中から集まって来ている移民の人々のすべてにいえることであり、この時代の移民の生活はなべてそのようなものであった。日本人だけでなく、ブラジルに移民して来た人々の、それぞれの国々の事情はいずれも似たようなもので、全般に非常に貧しく、将来にほとんど希望を見出せないというような閉塞感が、彼らのそれぞれの国々を支配していた。
 そんな状況の中で彼らは、ブラジルへ移民することによって、もっと大きな可能性が未来に広がっていくような、そういう豊かな生活を夢見ていた。
 自分たちの住んでいた国の、重苦しいまでの閉塞感を吹き飛ばしてくれるような、そんなダイナミックな世界を想像しつつ彼らは、遥々、遠い海を渡ってきたのである。
 が、しかし、現実はそのように甘いものではなかった。彼らを待ち受けていたものは、想定を簡単に超越してしまうような、厳しい生活の連続であった。
 無論、彼らだって、すべてがバラ色だとするような、めでたい考えを持っていたわけではない。移民というものが、それほど単純明快で、順風満帆のものと考えていたわけでもなかった。つまり、最小限それなりの覚悟と心構えはしていたつもりであった。
 それでもなお、現実は、それらのものをあっさり飛び越えてしまうほどの衝撃を持っていた。国を移るということは、新しい人生を新世界で築いていくということは、そんな生易しいものではなかったのである。
 もっとも。その最初の段階で尻尾を巻いて逃げるようでは、移民としては失格である。新しい人生を、新しい国で賭けようと本気になって考えるのなら、そのほんの入り口の所でたじたじとなっていたのでは、まったく話にもならない。
 はっきり言って、そのような思考では何ごともなし得ないであろう。覚悟をするということはつまり、そういうことなのだが、新世界を切り拓いていくほどの強い信念と、明確な目的を持っていなければ、この渺茫としか表現のしようのない大地の前では、押し潰されるようにして消えていかなければならない。