中島宏著『クリスト・レイ』第3話

 限られた世界で、限られた生き方しかしてこなかった人々にとって、この茫漠とした、掴みどころのない大地で新しい生活を築き上げていくことは、彼らのそれまで持っていた価値観や固定観念を、一度かなぐり捨てるようにして放棄することを意味した。そして、それを受け入れることは至難の技だったといっていい。
 それが出来るということは、精神的にかなり強靭であるということなのだが、大半の人々は、そこまでの強さは持ち合わせていない。永住という、長いスパンで移民というものを考えている人々は、それほどでもなかったが、いわゆる一攫千金の面でしか移民というものを捉えていない人間にとって、このとてつもない広さを持つ新世界に吹く風は、あまりにも強烈すぎて、それに耐えるだけの力は持ち合わせていなかった。文字通り、それらの人々は、その軽さゆえに強風に吹き飛ばされてしまうことになった。
 一口に移民と言っても、そこには様々な人々が存在し、様々な人生模様が展開されていく。どれ一つ同じものはなく、また誰一人、同じ軌跡を辿る者もない。
 それでも、全体としては、大体、似たような傾向を持つ流れが、それぞれに作られていく。そこに現れるのは、ある種、運命的なものともいえそうである。
 この物語にも、いわゆる運命的なものが存在する。
 存在するという断言的な表現が、いささかオーバーなことは承知だが、偶然の邂逅から始まっていく展開は、個人の意志を超えたレベルでの、何かが介在していたとしか思えない雰囲気を持つものでもあった。

 さて、この物語の主人公は、以上に述べたような、外国からやって来た移民たちの一人ではない。名前を、マルコス・ラザリーニといい、生粋のブラジル人である。
 ただ、厳密に言えば彼は移民の末裔であり、その意味では、移民との繋がりが存続しているはといえるかもしれない。が、彼の意識の中にあるものは、あくまでブラジル人としての感覚であり、それ以外の何ものでもない。
 マルコスの祖父は、青年のときにイタリアからブラジルに移民としてやって来て、サンパウロ州の奥地でも北の地方に当たる、リベイロン・プレットという町の近郊にあるコーヒー農場に雇われ、この時代の移民たちと同様、コーヒーの収穫の仕事に従事した。
 以後、独立をすると同時に結婚し、ポーランド系の奥さんの家族と一緒に、サンパウロ州の北西を意味するノロエステ鉄道の沿線にあるバウルーの町に引っ越して来て、その近郊で自営農を始めた。自営農といっても、この時代、この辺りはすべて原生林であったから木を切り倒すという作業から始まる、いわゆる開拓者としての生活であった。
 まだ、十九世紀後半の時代のことである。
 もっとも、彼らと共に多くの外国からの移民の人々がこの地方に入り込んできていたから、孤軍奮闘ということではなく、同じような環境での生活を一緒にする、いわゆる移民たちのコミュニティのような形が、そこには作られていった。ここで何とか土地を増やしつつ、コーヒーの他に、とうもろこしや綿の栽培を広げていった。
 マルコスの父はここで生まれ育ったわけだが、祖父の後を受け継いた後、順調に農場の成績を伸ばしていき、この地方としては、中堅の規模の農場までに成長させた。