特別寄稿=友人の国パラグァイの特質=コロナ対策優等生になったワケ=アスンシオン在住 坂本邦雄

1861年、三国戦争で残されたパラグァイの遺児と寡婦たち(Brazilian National Archives/Public domain)

 一見国は貧しいが、住民は至って温情で、「おもてなし」好きなのがパラグァイ人である。
 そして人種偏見もなく、皆が融和で住み易い結構な国である。
 突然の来客でも、一羽しかない鶏を潰してご馳走し、自分の分を提供してまでも接待を惜しまない。
 もう大昔の話だが、ラ・コルメナ移住地の建設当初、旧拓務省の田口菅次郎事務官は、パラグァイの国民は大変人情が豊かで、日曜日は教会のミサ(礼拝式)も欠さない善男善女だと本省に報告している。
 つまり、厚い友情がパラグァイ人の特徴なのだ。その世襲に因るのかは知らぬが、パラグァイは友人(アミーゴ)の国である。
 一口にアミーゴとは言っても、良友も悪友もあろうが、アミーゴの間柄になると、手に負えぬ面倒な問題でも相談に乗って、助けてくれる。
 他にも、コンパードレ&コマードレ(子供の洗礼親&実父母)の神聖にして親密な宗教関係の因襲がある。
 このコンパードレの儀に付いては、パラグァイの元勲で、清廉な鎖国政策を26年間もったガスパール・ロドリゲス・デ・フランシア総統は、ともすればコンパードレ同士は、温情主義に陥り、公私を踏み違えては不正をしかねないと、厳しく非難した。
 その後、不幸にしてパラグァイは、例のアルゼンチン、ブラジル、ウルグァイによる、三国同盟秘密戦争(1865~70年)の犠牲になり、国は惨めに破れ、焦土化した。
 青壮年男児は殆どが戦死し、残ったのは老人や幼年と女性達ばかりだった。

 そして、打ちのめされた国の精神、物理両面の再興を健気に担って新たに立ち上げたのが、歴史にも知られる「ラス・レシデンタス」と称され、ローマのフランシスコ法王(アルゼンチン人)は公然とその偉功を讃えて止まない、パラグァイ女性である。
 かくのように様々な経緯を経て形成されたパラグァイの国民性は、善良だが、奥底には決して、物事に屈しない根強いグァラニー魂が潜んでいる。
 なお一つの特徴は、元は人口も強大だったこの国も、かの呪わしい三国同盟戦争の結果、戦後は著しく弱小化し、哀れになったが、流石にブラジルやアルゼンチンの一州又は一県には成り下らずに済んだ。
 でも、「国破れて山河在り」のたとえで、ラス・レシデンタス女性の健気な細腕により、パラグァイ国は立派に生き残った。今でこそ人口も700万人弱までに増えたが、昔ながらの「豊かな人情」は依然として建材で、パラグァイの所謂「友人の国」たる評判は良く知られる処だ。
 しかし、長所は短所でも有って、余り親し過ぎると、「お隣の鍋の底迄も知り尽くす」等のお節介も生じ、煩わしい事も往々にして起こる。
 そして、人事問題にでもなると、不当な近親者の温情登用等が横行し、世間の不評を買ったりする。
 近い例を挙げると、人のみも有っての事だが、我が現政府のベニグノ・ロッペス大蔵大臣は、マリト大統領の異父義兄であり、有能か無能の話は別としても、色んな噂が流されている。

Dr・フリオ・マッソレーニ衛生福祉大臣を紹介する同省フェイスブック投稿

 次には、大統領の中学時代の校友で極めて親しい、Dr・フリオ・マッソレーニ(Julio Daniel Mazzoleni Insfrán)衛生福祉大臣がいる。
 この大臣は、筆者が現JICAの前身、旧移住振興会社㈱の職員だった頃に、良く一緒に仕事をした、パ国政府の農地改革局の同名課長(故人)フリオ・マッソレーニ氏の長男だ。現大臣が小さいガキ大将だった頃に、自宅の高い塀の上を飛跳ねて居るのを見て、フリオが頭を抱えていていたエピソードを想い出す。
 それが、今では新型コロナ禍対策戦で、WHO・世界保健機関等から優等生の成績が認められた数少ない国々の中の、パラグァイの衛生福祉大臣になった事は、さぞかし黄泉(こうせん)のオヤジも満足だろう。
 なお、マリト大統領は自分の衛生福祉相が、世間で色んな中傷や非難を受けて居るのに腹を立てていて、エンカルナション市の地域公共病院の改善工事落成式の席上の挨拶で、マッソレーニ大臣に対し、「巷のあらぬ噂や悪口に気をかけるなかれ。それは貴君の業績が評判で、自分が貴君を次期後継の大統領候補者に目論んでいるのを人が羨んで居るからだ」、と言い放った。