《記者コラム》両極にある日本とブラジル=邦字紙上ではわずか2cmの距離

「邦字紙にそんな読み方があったんだ!」

右の6面は「東京、新たに107人の感染」、左の1面にはブラジルの「コロナ禍/死者6万人超の中、不正疑惑」

 仕事が終了する間際の午後7時半ごろ、編集部内で雑談中、若手スタッフ(部員)から「うちの新聞って、1面と6面を比較すると、同じ新聞とは思えないぐらい内容が違うんですよね」としみじみ言われて、最初意味が分からなかった。
 「1面」は弊紙スタッフが毎日苦労しながら翻訳して作るブラジル社会面、「6面」は共同通信配信による日本の記事が中心だ。
 日本から来て数年のその若手スタッフは、「例えば3日の紙面ですけど、日本の記事では『東京、新たに107人の感染/宣言解除後初、3桁に急増』と100人で大騒ぎしているんですけど、ブラジルの記事(1面)のカタ(左上の記事)では『コロナ禍/死者6万人超の中、不正疑惑』という見出しで、1日の感染者が4万6712人、計144万人なんですよね。なんだか同じ世界の話とは思えないぐらい内容が違うというか…」と首をかしげている。
 さらに7月1日の新聞についても、件のスタッフは続ける。
 「日本の記事では『ふるさと納税除外取り消し/大阪・泉佐野市、逆転勝訴』とかほのぼの報じているのに、ブラジル面では『リオ市/大型ミリシア(私兵)集団の長逮捕』となっていて、100万レアルで暗殺を請け負うプロの殺し屋が逮捕されたとか、しかもそれが大統領の長男と関係があるとかという、まるで犯罪映画のような物騒な話。同じ日の同じ新聞の紙面なのに、どうしてこんなに違うのかなと。コントラストが効きすぎていて不思議に感じるんですよね」と普段から感じていることをぶちまけた。
 言われてみれば、その通りだ。良く見ると、1日の紙面では、日本の記事で「失業者200万人迫る」とコロナによって失業者が33万人増えて合計198万人になるという経済悪化を報じる記事があった。
 奇しくもブラジル面のちょうど同じ位置には、「失業率が12・9%に急上昇」との当地の記事があった。とんでもなく失業者が急増中だ。アジェンシア・エスタード6月16日付記事よれば、5月24~30日時点の失業者数は1090万人になったという。5月3~9日の時点では980万人だったから、わずか2週間で10・8%も失業者増加している。
 つまり、日本では失業者198万人で大騒ぎしているが、ブラジルではたった2週間でその約5倍の失業者が生まれ、しかも1090万人と一ケタ違う…。
 その上で、彼はとどめを刺すように「新聞の折り目を開いてみると、1面と6面が見開きになるんです。日本とブラジルが隣り合わせ。その差が一目で分かるんで、余計にギャップを感じるんですよ」と少し困惑するような表情を浮かべた。
 それを聞いて、「ああ、そんな新聞の読み方があるんだ」と目からウロコが落ちる思いをした。長年新聞を作ってきたが、「そんな読み方があるとは」と不意を突かされた感じだ。

右の6面は日本の「ふるさと納税」、左の1面はプロの殺し屋「大型ミリシアの長逮捕」の記事

コロナ禍でより鮮明になった対比

 外出自粛措置が始まる前までは、ブラジル社会面は2面にあった。1面は共同通信の日本のニュースだった。3月25日付のPDF版から1面をブラジル社会面にした。コロナで危機的な状況に追い込まれた中、1秒でも早くブラジル社会の変化をお伝えするという緊急性を考えて、1面に移した。
 特に深い意味はなかった。でも、結果的に印刷版の読者にとっては、見開きにすると右面に日本、左面にブラジルという特異な構成になった。
 若手スタッフは「紙面構成でいえば、1面と6面は、すぐ隣り合わせにあります。ですが、日本の日本人にはブラジル社会面の話は理解しづらいと思います。同じ日本語で書かれていても、記事の前提となる常識、社会背景が、まったく違うからです」とも指摘した。
 たしかにそうかもしれない。「邦字紙」という紙面は、日本語で書かれている性質上、結果的に日本的な常識をベースにして、ブラジル社会を語っている部分がある。ブラジル在住者には説明する必要がないようなことは必然的に省かれるから、日本の読者には判りづらい部分が出てきてしまう。
 1面と6面は物理的には隣同士だが、書かれている内容は両極端だ。かたや地球上で最も発展した先進国の一つで、もう一つは図体だけはやたらとデカいが遅々として進歩しない永遠の「未来の大国」。日本はコロナ対策の優等生であり、ブラジルは途中から「世界的震源地」になった劣等生なので、ここ数カ月、その対比は余計に鮮明になってきている。
 その二つの現実が、一つの新聞にまとまっており、ある意味、とても無慈悲な対比が毎日行われている。

折り目に込められた象徴的な意味

折り目には地球半周分の思いが込められている

 今は2面にある日系社会面は「日本とブラジルのどっち側なんだ」といわれると、「今はブラジル社会の一部になった」という気がする。
 コロナ前まで8ページあったうちの7面にあり、ど~んとかまえている部分があった。コロナ禍で日系社会の活動は火が消えたようになってしまった。重要性が増したブラジル社会面に隠れて、ほそぼそと続いている感じになった。
 だがコラム子が邦字紙で働き始めた1992年、当時の編集部には「コロニアは日本の飛び地だ」とか「邦字紙は48番目の県紙だ」という勢いがあった。コラム子はそう教え込まれ、「ほとんど日本語で取材できる」と当時は思っていた。もちろん、今はそうではない。
 事実、現在の日系社会面の紙面を見ていても、元々ポルトガル語で語られたものを日本語に訳した記事が多い。
     ☆
 1面と6面は折り目を挟んで、物理的にはわずか2センチしか離れていない。だが、そこに書かれている日本とブラジルの距離は2万キロも離れている。地球上で最も遠く離れた国同士だ。
 「折り目」というのは、まっ平らな二次元の存在である紙が、立体的な三次元の存在に変わる特別な節目、瞬間でもある。
 だから1面と6面の間にある「折り目」には、2万キロの時空と、東洋と西洋という文明間の溝が象徴的に織り込まれている。これが味わえるのは印刷版の読者だけだ。
 しみじみと折り目をなぞりながら、一体この差はどこから生じたのだろうと考え込まされた。「私たちは何を常識として、どこに住んでいるのか」と。そして「この差がなくなる日は、いつか来るのだろうか」と。(深)