中島宏著『クリスト・レイ』第13話

 さらにもっと奇妙だったのは、この二人の神父が流暢な日本語を話すという事実であった。細かなところまでは聞き取れなかったが、マルコスにとって、この二人の神父が話す日本語は、どこか品があるような、それでいて威厳があるような響きを持っており、ある種、美しい音色を聞いているような感じが伝わってくるものであった。
これが、本当の日本語なのかと、初めてこの神父たちの話を聞いたとき、マルコスは強い印象を受けた。アヤの話す日本語もそれなりに美しいと思っていた。だが、彼らの日本語はそれを上回るものだというふうに感じられた。
ドイツ人という西洋の人間が、これだけの日本語を話すということはいったい、どういうことなのか。マルコスの頭の中では、この疑問が大きく膨らんでいった。
時折、この日本語学校の中でも特殊といえる、日本語塾に顔を出しては、神父たちはいろいろな話をするのだが、それは決して宗教的にこだわったテーマでなく、日本の国のことや、日本語についてのことが多かった。その話しぶりも、マルコスたちが聞いても非常に分かりやすい言葉で、丁寧な説明の仕方であったから、そこには引き込まれていくような話の流れと魅力とを強く感じさせるものがあった。
一人の神父は、エミリオ・キルシェルといい、一九二九年に、日本からブラジルに来て、そのまま、このゴンザーガ区の日本人たちの教会に赴任したということであった。
もう一人は、アゴスチーニョ・ウッチという名前の神父で、やはり彼も日本から派遣されて来ていた。彼はエミリオ神父より四年ほど遅い一九三三年に、この地にやって来ている。これは後で分かったことだが、アヤ・ヒラタもこの同じ年に、アゴスチーニョ神父と共に、ブラジルへ移民して来ている。
この二人の神父の名前がドイツ名でないのは、おそらく教会関係の名ということなのであろう。ちなみに、アゴスチーニョの本名はアウグスチーヌであった。
そこまでのことは分かったが、しかし、どうしてドイツからではなく、この二人の神父たちは日本からやって来たのか。いったい何の目的で、この山奥といっていいほどの僻地に来たのか。そして、この教会はそもそも、どういう種類の教会なのか。
それらのことについては、明確なものは何も分からなかった。
本当は、マルコスはそういう疑問のすべてを一度きちんと聞いてみたかったのだが、日本語のことはともかく、教会のことになると何か、ある種、秘密のベールに包まれたような雰囲気があったから、あまりその辺りのことは突っ込んだ質問をしようとはしなかった。
彼ら、つまり、あの二人の神父も、ここに集まって来る日本人たちも、そのことに関しては積極的に話をするというところはまるでなかった。マルコスにしてみればそこは、触れてはいけないもののように思われたから、あえて詳しく聞いてみることに対して、何かしら躊躇する感じを持っていた。
ただ、いずれそのことは聞き出すことになるだろうとは考えていたが、今は、そんなことよりも、日本語をさらに学ぶという点に集中していった。
そんな状況の中で、教会の方に大きな変化が現れた。