日本移民と感染症との戦い=世界最大の日本人無医村で(9)=野口英世も黄熱病の研究に来伯

野口英世(1876 – 1928、Unknown author / Public domain)

野口英世(1876 – 1928、Unknown author / Public domain)

 宮嶋はブラジル国内でも日本移民排斥の動きが始まっていると警告し、《北米の例にならって二三の衛生家は日本人には寄生虫がある。こういう人間は好ましくないという声を高めてきたのであります。それゆえに日本人の十二指腸虫をどうして除いて宜しいか、ブラジルにおいても日本人の寄生虫病に罹っている者の割合が多いというので、移民の衛生状態を調べ行ってくれないかという話が、南米の移民を取り扱う移民組合から昨年の夏ごろに起こったのであります》(102ページ)と説明されている。もちろん、寄生虫も感染症の一種だ。
 宮嶋は、その続きの論説(同雑誌377号)で、日本移民に関してこう論じている。《アングロサクソン人の土地(編註=米国)では日本人はどうしても排斥されるかも知れませぬが、南米人はアングロサクソン人とは大いにその趣きを異にしておる。かつまた人種的関係からブラジルでは特に人種的差別をする法律を設けることは不可能であります。それゆえに日本人が発展するにブラジルは最も有望な土地だらうと思ひます。もう一つは人種学上から見ますと、幾分かの似寄りを南米の土人なり多くの住民は有っている。さう云うところは非常に気持ちが良い。我々日本人が行っても毫も嫌気がない》(213ページ)と書いている。7カ月の滞在を経て、ブラジル移民に対する思い入れを強くして帰ったに違いない。
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バイア州都サルバドールの「Laboratorio Prof. Noguchi(野口研究所)」壁面には漫画の野口伝が貼られている(写真=毛利律子さん撮影)

バイア州都サルバドールの「Laboratorio Prof. Noguchi(野口研究所)」壁面には漫画の野口伝が貼られている(写真=毛利律子さん撮影)

 宮嶋の後に、ニューヨークのロックフェラー財団から派遣されてやってきたのが、黄熱病や梅毒の研究で有名な細菌学の権威・野口英世だ。1923年11月にリオに到着、黄熱病の研究のためにバイア州都、リオ、サンパウロなどに4カ月ほど滞在した。
 バイア連邦大学医学部のヴィアンナ・ジュニオル教授は、リオの出版社から野口の伝記『Noguchi』を出版した。その伝記によれば、野口はすでに世界的に著名な学者だったが、ブラジル人研究者にも丁寧に接した。《唇には日本人らしい微笑を常にたたえ、礼儀正しく、愛想がよく、(中略)注意深く、控えめで、ためらいがちで、恐ろしく勤勉だった》(49頁)と記す。
 朝8時には実験室に入って忙しく研究を始め、昼に2時間ほど休みを取った後、午後7時まで研究を続けた。その後、毎日2時間のポルトガル語の授業を受け、床に就くのは常に深夜になっていた(同47頁)と書く。
 ブラジル時報紙1924年3月7日付に、野口は「教えにではなく学びに来た」との記事が掲載された。ブラジル人記者との会見では質問にポルトガル語で応え、記者を驚かせた。講演は多くのブラジル人に感銘を与えたとある。野口英世は研究者である以前に語学の天才でもあった。
 野口の伝記の実物を見ても出版年は、はっきりわからないが、おそらく戦前だ。とても敬意に溢れた内容で「偉人伝」といっていいものだ。ブラジルで出版された日本人の伝記としては最初ではないか。これもまた感染症と日本の関係を語る上で欠かせない本といえよう。(つづく、深沢正雪記者)