特別寄稿=日本の恥などとはとんでもない=世界に冠たる日本国憲法=サンパウロ市  駒形 秀雄

天皇及び国務各大臣によって署名された日本国憲法(Ryo FUKAsawa/CC BY)

 日本では憲法改定の議論が盛んです。
 ここブラジルでも「日本国憲法は日本人の恥である」と言うような声がありましたが、これはとんでもない。『日本国憲法は世界に誇り得る立派な法典です』と申したいと思います。「日本の憲法など見たこともない」と言う方に、『日本国憲法はこの様に立派なものです』と胸を張って言える様に、以下要点だけでも申し上げます。

 日本憲法の3大原則

 第2次世界大戦で社会体制が変わった日本国ではそれまでの明治憲法(1889年制定)が廃止され、早く次の基本法(憲法)を制定しなければとの機運が高まっていました。
 その間、日本の法学者、政治関係者、占領軍組織(GHQ)との間で種々の議論があり、1946年、議会で原案確定、1947年5月3日施行となりました。
 憲法とは国の政治のあり方を定めている基本的法規ですが、この憲法の3大原則とは以下の様なものです。
(1)【国民主権】国は国民から成り立ち、その権力は国民に由来する。その実行者(行政者)は選挙によって選ばれる。(それまでの明治憲法では―国の最高権力者は天皇で、その天皇をおたすけする形で大臣とか知事が任命され、実際の行政を行う―から変わった)
(2)【基本的人権を尊重する】人間には生まれながらにして一人の人間としての生存権、幸福権があり、他の人がこれを侵すことは出来ない。政府はこの権利を尊重する施策を行う。
(戦前の行政ではこの基本的人権という考えが徹底せず、《公の為》という事で、個人の権利が無視されることが度々あった)
(3)【平和主義】第2次世界大戦を戦った日本人は「敵を沢山殺した方が勝つ」という戦争の残酷さを骨身に沁みて感じました。南方の前線でアメリカの物量(空からの爆弾、海からの艦砲射撃)に対し、人間の精神力で戦った日本軍人は散々に痛めつけられました。国内に残った女性や子供たちは、空から落ちてくる爆弾、焼夷弾の下で竹槍などで対抗する無意味さを知らされました。皆が心から「戦争はイヤだ」と思ったのです。
(敗戦前までは国民は天皇の赤子だから『大君のへにこそ死なめ かえりみはせず』と教えられていたのです)
 この新憲法の「自由」「平等」「民主」の気風に励まされ、日本国民は元気を取り戻しました。そして「そうだ、我々の国、日本の国力を伸ばそう、そして家族を楽にしよう」と頑張り、1968年、経済力で世界2位に成るまで、奇跡の成長を遂げたのです。

 憲法はどう定められたか

日本国憲法施行記念切手

 1945年、終戦とともに明治の憲法はその効力を失いました。国の基本法が無くては行政面で大いに困ります。早期に新しい憲法の制定が求められました。
 日本の法学者や政府関係者の間で幾つかの草案が作られ、検討されましたが中々纏まりません。
 そこで西欧式民主主義政治で一歩先を行くGHQの方から草案が示され、日本側からも加わり原案が出来、国会で承認されました。
 1946年公布、1947年実施です。日本国民は「これで我々が正式に国の主体者になったんだ」と喜び、歓迎しました。
 5月3日は『憲法の日』として定められ、以後ズ~ッと祝われているのです。
 確かにそれまでの憲法の様に『万世一系の天皇これを統治す』とかの条文はなく、新憲法ではバタ臭いような表現が多いのですが、これはそれ迄あまり日本人に馴染の無かったよな制度を取り入れたせいで、やむを得ない点があるわけです。
 何処かの国の人が言うような『日本人の恥になるような憲法』では決してありません。現在の日本諸制度、内閣、司法制度、議会制度、地方の行政組織、すべてこの憲法の規定に沿って形作られています。
 世界に誇れるような内容の立派な憲法なのです。
 余りに短期間に制定されたので「アメリカから押し付けられた」と言う人もありますが、それは制度が実行されて大分経てから、後で言い出されたもので、変更の理屈付けに使われたとも解せます。
 また、そんなことを言い出すなら、明治の帝国憲法だってドイツの憲法を下敷きにしているし、奈良時代の規則にしても当時の中国の法規に準拠しています。
 良い方策、制度があれば、それを取り入れるということは世界で共通しているやり方ですね。
 日本国憲法は西欧的な考え方を取り入れて、日本の政府、議会が合法的に定めた基本法なのです。
 私たちが子供のころ、日本にはまだ尺貫法が幅を利かしていて、身長5尺3寸の男とか、体重30貫の相撲取り、とか言っていたのですが、その後、合理的なメートル法が採用され、国際的表示になりました。今私たちがブラジルへ来て「5キログラムの米、とか「200メートルを歩いて」とか、何不自由なくお互いに理解できるのも、昔、世界に通用する方式を採用して呉れた先祖のお蔭、その有難味が分かるというものですね。

 戦争しなけりゃ、軍隊などいらない(?)

 このところ日本で憲法改定の動きが高まっている論拠の一つに、国の防衛、軍事力の強化に平和憲法の規定が邪魔になる、という事があります。これは確かにそうでしょう。
 この憲法が定められころは世界大戦が終わってから2年ほどしか経っていず、各国は勝った方も負けた方も戦争疲れ、「こんな戦争もう沢山だ。世界は平和の体制を築かなければならない」と思っていたのです。この憲法原案が提示された時、日本の関係者はその理想の高さに共鳴し、「そうだ、世界に先駆けて平和の旗を掲げ、他国の範になろう」と決心したのです。
 公布後は国民もこの理想に感動し、賛成し、反対意見は殆どありませんでした。
 しかし、その世界の平和は長くは続かず、1950年には隣の朝鮮半島で戦争勃発、後には中国と米国を巻き込んだ大戦争になりました。最近では近隣国がミサイルを我が国周辺に打ち込み、また、我が国の島々に「ここは我々の領土だ、どけ!」と領海の侵犯を繰り返しています。「何時隣国が我が国の領土に上陸して来るか分からない事態なのに、ヘイワ、ヘイワと女学生みたいに唱えているだけで、これが防げるのか」と国土防衛、軍事力強化の声が強くなります。
 武器を持ったならずものが自分の方へ襲って来たら、「ちょっと待って、これは俺の物だ。取らないでくれ」などと言っても通用しない。これを止めるには「相手を上回るような力、装備を持たねばならない」とこれはブラジルに住む人ならすぐ理解出来る筋道です。
 ところで、有難いことに日本には既に「自衛隊」という軍隊があります。ご存じない方も多いかも知れませんが、その装備、兵員などを勘案すると日本は世界で7番目位の強力な軍事力があるのです。
 しかし、憲法では「国の交戦権を放棄する」と言っており、堂々と戦闘行為は出来ないことになっています。戦争をしないなら、軍隊もいらないだろうとなります。
 自衛隊の立場はありません。「これでは国を守る兵士も士気が上がらない、憲法の規定を変えよう」というのが、今の憲法改正派の主張なのです。
 憲法と言えども、実情に合わなくなったら、それを変えれば良いのです。別に「日本の恥だから」などと唱えた外国人の変な理屈を持ち出す必要はありません。所定の憲法改定手続きを経て、自衛隊を日の当たる場所に移せば良いのです。
 世界の有力国である日本国が陸、海、空軍、ハイテク軍(?)からなる軍隊を保持したところで、何の異議の出しようがありましょうか。自力の軍隊を持ってこそ、眞の独立国でしょう。

 憲法をどうやって変える

海上自衛隊掃海隊群(海上自衛隊/CC BY-SA (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0))

 国の政治や制度の根本を定める憲法は世界の各国が持っています。しかし様式は国ごとに異なります。
A)日本の様に国の基本方針を定め、具体的な法律は民法とか刑事法とか個別の法律で定める様式、―この場合、そう度々憲法の規定を変える必要は無くなり、75年間一度も変更なし、という事もある訳です。
B)憲法に個別の法律のような相当細部の規定を持つ憲法もあります。ブラジルなどはそれで、何かというと憲法の規定を改定することになります。それでその改定も比較的容易、国会の2/3の賛同があれば可能となっています。
 日本の憲法は国の根本規定だから、長く続くことを想定して出来ているので、その時の政治情勢などで、そう簡単には変更出来ない様になっています。変更案を国会が2/3の多数で承認し、それを国民投票にかけての賛同が必要です。「長い間一度も変えてないから、変えよう」ではちょっと本末転倒のように感じますよね。
 以上、お分かりの様に、我が日本国の憲法は世界に誇り得る立派な基本法典なのです。
 変な言葉に惑わされず、自信を持ってこれを扱いましょう。(ご感想はこちらへ==》hhkomagata@gmail.com