中島宏著『クリスト・レイ』第17話

 自分にそう言い聞かせつつも、なかなか思い通りにはいかない。困ったものである。
 アヤとの約束は、そのような意味での緊張感を伴うものであった。
正直なところ、この時、彼女に対する淡い慕情のようなものが、マルコスの中で芽生えつつあった。彼はそのことに対して驚きつつ、狼狽している。このような感情が生まれてきたことに対して、慌てているといったらいいのかもしれない。いずれにしても、尋常な精神状態ではない。
もっとも、女性との付き合いがこれまでまったくなかったわけではない。初恋から始まって、プラトニック的な本当に淡い感じの付き合いを経験したことはあった。が、しかし、今度の場合は、それらとはかなり様子が違う。いってみれば、このような感情の動きは初めての経験であった。そのことが、マルコスを狼狽させているといっていい。
 無論、このような心の動きはアヤにさとられているはずはないが、二人だけの会話の中で、そのことが、つまり、彼の心の微妙な動きがポロリと出てしまうことはないだろうか。そんなことまでが心配になってくる。
あほらしい。お前は一体なにを考えているんだ。彼女のことではなく、教会のことを考えるんだ。それが、お前の目的だろう。それだけを考えたらいいんだ、あとは忘れろ。
そう考えながらも、マルコスはなぜ急にこんな状況になってしまったのか、その辺りがさっぱり理解できないという心境であった。
これも一種の、心の病が始まったということであったのかもしれない。
約束の日の土曜日、彼は少し早めに日本語学校に着いた。
いつものように乗り慣れた自分の馬でやってきて、それを、その辺りの広場に放した後、学校の背後にある例の建設中の教会を眺めたりして、アヤの来るのを待った。
マルコス・ラザリーニは中肉中背で、一人の青年としては特に目立つようなタイプではない。どちらかというと大人しいという印象で、その存在感もやや薄いという感じである。栗毛色のウェーブがかかった髪をやや長めに伸ばしている。
元々は白い肌だが、仕事柄いつも日焼けしているという感じで、顔も腕も淡い小麦色になっている。彼の特徴は薄い茶色の目で、それが、まだ少年のような人懐っこい雰囲気を醸し出している。善良な人柄がそこには表れているが、ただ、その奥には表からは見通せないような複雑なものが潜んでいるという感じが漂っている。
青年期特有の、完全な大人ではない、何かしらまだ少年期の面影が残っているような中途半端なものが、そこにはあった。二十歳になったが、目下の関心事は、仕事と日本語の勉強だけである。ただ、最近になってその一角が崩れようとしている。
いや、崩れるというよりもこの場合、ある新しいものがそこに加わりつつあると言ったほうが適切かもしれない。それが一体、どのような性質のもので、どのような形を持つものであるのかは、マルコス自身はっきりとは理解できていない。
何やら甘酸っぱいような感覚と、切ないような気分が時折りふっと心の中に現れては消えていく。それが、ずっと持続していくことはないが、ちょうどそれは、大きな波が来ては砕け、すーっと引いていき、それからまた、次の波がやってくるという、そんな感じを持つものであった。