中島宏著『クリスト・レイ』第27話

 雲ひとつない青空は、まさに秋晴れであり、透明度の高い澄み切った空気は、遥かに高い天空にまでゆっくり上昇していくような雰囲気を持っていた。陽射しは結構強いが、適度に涼しげな風が吹き抜けていくため、ほとんど暑さは感じられない。
 二人は、コーヒーの木々の陰を伝うようにしながら、寄り添うようにして歩いている。お互いに、会話が弾んでいることに満足感を覚えながらも同時に、まだ何も話していないというような、奇妙な焦燥感を抱いていた。こうして話してみるとお互いが相手をほとんど何も知っていないということに、今さらながら気付いたという思いが生まれている。 「マルコスから見ると、私たちの存在は何かちょっと不思議な感じを持つものじゃないかしら。日本人だけで固まってブラジルの社会には溶け込もうとしないし、もっと広い世間に出て行こうとしないし、自分たちの世界だけに閉じこもっているという感じでしょう」 「そういう感じは確かにありますね。でも、それは言葉が分からないし、習慣も違うから、簡単にこのブラジルの社会に入っていけないというところがあるからではないですか。
 僕も、さっきそんなことを考えてみたのです。もし、僕が日本に移民したとしたら、そこはブラジルとはまったく違った世界だから、随分戸惑うのではないかと思います。
 それで、仮に何十人、あるいは何百人というグループで一緒に移民して、同じ所に住むとなれば、やはり、そこから簡単に出るということはないと思います。そこにいればまず安心だし、取りあえずは生活に困ることもありませんからね。そこから少しづつ、世間を知るためにも一般社会に出て行くということになるでしょう」 「そうね、そういう点ではどこの国から来た移民の人たちも、最初はそういう道を辿ることになるようね。それはまあ、この新しい国に永住するための準備期間のようなものね。そういう期間がないと、まったく違う世界から来た人間にとっては、生きていくということだけでも大変なことになるわね。
 でもねマルコス、その期間があまり長いと、それはちょっと不自然なものとして映るのではないかしら。つまりね、いつまで経ってもブラジルの社会に出て行かずに、自分たちだけの世界にこだわるというのは行き過ぎだと。ブラジルの人たちは、そんなふうに考えるのじゃないかしら」 「そうですね、一般的には、そう考えるでしょうね。ちょっと不思議に感じるとか、そういうことはあるでしょう。でもね、それがたとえば、暴力的なグループとか、危険な思想のグループとかだと問題になりますが、あなたたち日本人の場合は、そういうことは全然ありませんから、そういう意味での警戒心といいますか、不信感というものはありませんね。ただ、あなたたちがもっとブラジル人たちと付き合うようになれば、もう少しきちんと理解されることになると思います」 「そういうことは確かにあるでしょうね。そのことは私たちも感じてるし、私もできるだけブラジル人の人たちと付き合おうと考えてるわ。マルコスも一応、ブラジル人でしょう? まあ、きれいな日本語を話す、かなり変わったブラジル人ではあるけど、少なくともあなたは日本人じゃないことは確かね。そういう人といつも付き合うことによって、何かが変わって行くのじゃないかしら、私もあなたも。そこが重要な点だと思うわ」