中島宏著『クリスト・レイ』第31話

 自分を叱咤するように、頭の中で別のマルコスが声を励ます。
(そうだ、今はそんな不謹慎なことを考えている場合ではないんだ。純粋に教会のことだけを話していればいいんだ)
 ふっと、我に返るようにして、マルコスは、現実の世界に引き戻された。
「あら、マルコス、急に黙ってしまったわね。さっきから私、あなたに質問しているけど一向に返事が返って来ないから、どうかしたのかと思ったわ。
 ねえ、大丈夫なの。まさか、暑さにやられたということでもないでしょう。今日はそんな暑さでもないし、むしろ、涼しいくらいで気持ちのいい天気だわ」
「あ、ごめん、ごめん。どんな質問だったのですか。ちょっと考え事をしていたもので、よく聞いていなかったのですが」
「まあ、マルコスでもそういうことがあるのね。日本語の授業では、そんなこと滅多にないことだけど。いいわ、もう一度質問しますよ。私が知りたかったのは、マルコス、あなたは将来、どんな道に進んで行きたいと思っているのかということよ。
 あなたの家の家業を継いで、いずれ農業と牧畜を営んでいくことになるのかしら。それとも、将来は勉学の方に進んで、大都市、たとえばサンパウロとかリオデジャネイロに出て、弁護士になるとか、医者になるとか、そういうような希望があるのかということね。
 どうして、こんなことを聞くかというとね、あなたの学力はかなりのものだから、このままやめてしまって家業を継ぐのは、何だか惜しいような気がするからなの。いえ、農業とか牧畜が駄目だと言っているわけじゃないのよ。それはそれで立派で有意義な生き方だと思うけど、しかし、あなたの場合は、もっと別な方面での可能性が大きいのじゃないかと、私は思うの。
 ごめんなさい、勝手にこんなことを喋ってしまって。でも、私の見るところでは、マルコスの学力だったら、十分にその可能性があるのではと考えるの。もちろん、それに対して私は何の責任も負えないけど、挑戦してみるだけの価値はあると思うわ。何だか無責任な話のようだけど、ずっと今まで、マルコスの勉強ぶりを見てきたところでは、そのことは間違いないと思うようになったの。私が聞いたのは、あなたにそういう希望があるのかどうかということね」
「うーん、そのことについては僕も考えたことがあります。大学へ行けば、将来もっと大きな可能性が出てくるだろうし、勉強をすることによって、さらにいろいろなことが理解できるようになるはずだから、できればそういう可能性を試したいと思うこともあります。ただ、今のところ、この問題についてはまだはっきりしたことは決めていません。
 父に相談したこともありますが、父は特に勧めることもなく、といって反対するのでもなく、お前の好きなようにしたらいいだろうと言ってくれました。幸い、うちは農業も牧場もうまくいっていて比較的恵まれた状況にありますから、僕がいなくても特に問題はないのですが、しかし、僕としてはやはり、牧畜に興味がありますから、学校の勉強よりもこの方面での経験を積んでいく方がいいのではないかと思ったりしています。