手塚治虫の絶筆『グリンゴ』=ブラジル日系社会が遺作に(上)

手塚治虫の遺作『グリンゴ』の表紙

手塚治虫の遺作『グリンゴ』の表紙

 『火の鳥』『ブラック・ジャック』などの傑作を次々に発表し、存命中から“マンガの神様”と呼ばれていた天才漫画家・手塚治虫(1928―1989年)を知らない日本人は少ない。しかし、彼の未完の絶筆『グリンゴ』がブラジル日系社会をモデルにしていたことはあまり知られていない。
 実はこの作品に「ブラジル」という言葉は一言も出てこない。にも関わらず、当地在住者には「舞台がブラジル」と分かるシーンが冒頭に出てくる。序章の第1ページ目は《これからはじまる物語は、一切が仮名になっている。もし貴方に興味がおありなら、第一の舞台である商業都市カニヴァリアが、南米の地図のどこに位置するかをお調べいただくのも結構》と敢えて隠して読者の興味を誘うような始まり方をしている。

『グリンゴ』序章の第1ページ目

『グリンゴ』序章の第1ページ目

 実はサンパウロ市に住んでいる者にとって、最初のページがすべてを物語っている。一コマ目は明らかに市中心部のセントロ地区にある「セー大聖堂」だ。二コマ目は奥が旧サンパウロ州立銀行ビル、その右手前にあるのがイタリア人建築家設計による美しいマルチネリ・ビルだ。
 日本商店が集中する東洋街から歩いて10分程度と近い。写真と絵を見比べれば、関係は歴然としている。手塚治虫は1984年に国際交流基金の招待でブラジル訪問した。その時に写真に収め、資料にしたのだろう。掲載開始は1988年だから、4年間温めた上で発表した。

 主人公は江戸商事の駐在員で、カニヴァリア支社長「日本人(ひもと・ひとし)」35歳。名前が示す通り、バブル期真っ最中のモーレツ日本人商社マンをモデルにしており、治安の悪い南米でレアメタルを買い付ける特命を帯びてきており、どんどんと有望な土地を買い上げる。

左:サンパウロ市の中心地であるセー大聖堂;右:奥が旧サンパウロ州立銀行ビル、その右がマルチネリ・ビル

左:サンパウロ市の中心地であるセー大聖堂;右:奥が旧サンパウロ州立銀行ビル、その右がマルチネリ・ビル

勝ち組「東京村」

 圧巻なのは第3巻目の第11章「東京村」、第12章「勝ち組」、最後の第13章「奉納大相撲前夜」と続く絶筆部分だ。ブラジル日系社会に終戦直後に実際に起きた、勝ち負け抗争から着想をえている。
 内戦から脱出した日本(ひもと)家は、アマゾンと思しきジャングルの中のインディオ村落を通って国境付近の山越えをした後、不思議な村に遭遇する。野宿した場所で朝起きたら、いきなり「鳥居」が登場するのだ。日本は《南米の辺境の地にいる日本人のコロニーでは、太平洋戦争で日本が勝ったと勘違いした連中と、敗戦と聞いた連中が、勝ち組と負け組に分裂して反目していたとか・・・この村は勝ち組の一つか!》と独白する。(つづく、深沢正雪記者、全米日系人博物館のプロジェクト「ディスカバーニッケイ」初出掲載http://www.discovernikkei.org/ja/journal/2014/7/7/tezuka-osamu/ )