手塚治虫の絶筆『グリンゴ』=ブラジル日系社会が遺作に(下)=勝ち組「東京村」はどこ?

左:『グリンゴ』第3巻に出てくる勝ち組「東京村」の神社の鳥居; 右:ブラジル生長の家のイビウナ聖地にあるよく似た鳥居 

左:『グリンゴ』第3巻に出てくる勝ち組「東京村」の神社の鳥居; 右:ブラジル生長の家のイビウナ聖地にあるよく似た鳥居

今も続く邦字紙、日本人墓地、相撲

 『グリンゴ』第3巻に出てくる勝ち組「東京村」の神社の鳥居のコマと、実在する似た景色としては、生長の家ブラジル伝道本部のイビウナ聖地の鳥居がある。
 ブラジルの田舎の町に忽然と立派な鳥居と神社現れる様子は、漫画の描写に似ている。同教団のブラジル信者数は日本と同じ推定200万人といわれ、大半が写真にあるようにブラジル人となっている。
 第12章の勝ち組「東京村」では、本紙のような邦字紙をモデルにした「聖戦日報社」という新聞が登場し、今も太平洋戦争が続いており、日本が優勢であると報じ続けている。終戦直後の数年間は、日本が今も戦い続けているかのような印象の記事をのせる勝ち組新聞や雑誌が確かにあった。
 漫画では、峠にお地蔵様が置かれ、日本人墓地が描かれている。実際にアルヴァレス・マッシャードや平野植民地などには、日本移民だけが埋葬されている墓地が実在する。普通の市立墓地は人種関係なくみなが埋葬されるから、ブラジルでも特殊な墓地だ。
 武装した「自警団」が漫画に出てくるが、地方部の治安の悪い日本人集団地では、今も自警団組織を作っているところがある。ただし、地元警察と協議して許可のもとにやっており、漫画のように“自治”をしている訳ではない。

左:『グリンゴ』最終章に出てくる相撲の場面; 右:2008年7月20日にサンパウロ市で開催されたブラジル相撲選手権大会の取り組みの様子

左:『グリンゴ』最終章に出てくる相撲の場面; 右:2008年7月20日にサンパウロ市で開催されたブラジル相撲選手権大会の取り組みの様子

 第13章「奉納大相撲前夜」にあるような相撲は今も盛んだ。今年はコロナ禍で中止になったが、例年7月にブラジル相撲選手権大会、南米相撲選手権大会が開催されている。
 ただし日系子弟で相撲をやるものは減り、集団行動や規律を学ばせるためのスポーツとして主に非日系に広まっており、黒人系、白人系、男女を問わず、競技に参加する。作品にある「相撲=日本精神」という印象は薄くなった。
 このマンガは、勝ち負け抗争当時のサンパウロ州の同胞社会なぞりながら、手塚なりに「日本的なナショナリズム」を描いている。だが、「現実は小説より奇ナリ」という言葉の通り、実際に起きた「円売り事件」(日本で無価値になった円を勝ち組に売りつけた詐欺)や「ニセ宮事件」(自称・朝香宮が献金や寄付を募った詐欺)は、天才漫画家の発想すら超えたストーリーを展開したと言えなくもない。

手塚は何を漫画に託したのか

 主人公・日本(ひもと)は、外国人に負けない「強い日本人」としての矜持を持つが、興味深いことに妻は白人で、日本女性以上に大和撫子という設定だ。
 それが『グリンゴ』(ポルトガル語で「白人」)というタイトルに関係し、ラスト部分でのひねりにつながったのではと推測される。主人公の子供は当然混血となるが、日系社会では混血が進んでおり、三世以降は半分以上がすでにそうだ。この13章で絶筆となり、そのあとのラスト部分のストーリーは永遠に分からない。
 おそらく手塚が東京村に託して描こうとしたのは、評論家の大宅壮一が1954年にブラジルへ取材に来た時に残した言葉「ブラジルの日本人間には、日本の明治大正時代が、そのまま残っている。明治大正時代がみたければブラジルに観光旅行するがよい」という雰囲気だろう。
 ブラジル日系社会を発想の源泉として、手塚がバブル期の日本人に問いかけたかったものは何か? 手塚は《東京は国際的な大都市になったが、一皮向けば依然として、世界における巨大な「日本人村」社会であり続けている。普段は平静を装いながらも、ときに沸々と勝ち組のようなナショナリズムが台頭する》と言いたかったのではないか。
 逆にブラジル日系社会は、漫画の東京村よりもはるかに社会的、文化的にブラジルに統合され、混血化した。手塚治虫没後31年を迎え、当地在住の日本人としては、今さらながらに未完のラストシーンが気になるところだ。(終わり、深沢正雪記者)