日本移民と邦字紙の絆=日系メディア百年史=(1)

ブラジル最初の邦字紙、週刊『南米』の表紙。手書きの謄写版(ブラジル日本移民史料館蔵)

■はじめに■

 この一文は、ブラジル日本移民百周年記念協会の事業として、日本語版百年史編纂委員会(森幸一委員長)から2010年12月に刊行された第3巻『文化編(1)』のために書いた「日系メディア史」を、加筆修正したものだ。
 グローバル化する世界が意味することは、かつては地方内で完結していた経済活動や文化活動が、世界レベルの淘汰にさらされることになった点だ。
 むかしは国内で季節労働していたものが、国境を超えると外国人移住労働者になる。第一次グローバル化がおきたのは19世紀であり、日本の開国もその中のプレッシャーによるものだといえる。
 第2次グローバル化は戦後の特に80年代以降といえる。第1次で移動したのがブラジル日本移民であり、第2次がデカセギとよばれるその子孫たる日系人だ。これは連続した一連の労働者の世界的移動という同じ現象であり、単体でみても本質はわからない。
 また、移民の言葉の特性や彼らのメディアの分析は、移民現象を理解する上で不可欠だ。その意味で、歴史的な観点だけでなく、幅広い視点から日系メディアの歴史を概観してみたい。

■総論■郷愁を癒やす読み物

 「日本人がうどんを食べるのは食欲の問題だが、移民にとっては郷愁の問題だ」と喝破したのは文化人類学者・前山隆だが、邦字紙という存在もまさにその通りだった。
 日本の日本人にとって日本の情報を知ることはただのニュースにすぎない。だが、移民にとって「祖国の動向」を知ることは、ニュースである以前に郷愁を癒すことであった。
 外国という環境から生起する独自の日本人意識は、邦字紙の記事内容や論調とは切り離せない最重要なテーマの一つであった。
 とくに初期の移民にとって、邦字紙なくして日本のことはもちろん在伯同胞 のことも分からない。目であり、耳であり、脳(オピニオン)ですらあった。
 外国という異文化環境において、不安定になりがちな精神状態を支える貴重な情報を与え、在伯同胞みなが読む公的な議論の場という役割があり、同胞社会における共通認識形成に大きな役割を果した。
 紙上で展開されるさまざまな議論、ほかの地域の苦難な状況を読んで共感した読者の頭の中に、「我々は在伯同胞社会に属している」という一体感をしらずしらずのうちに形成する機能もあった。
 数年の出稼ぎのつもりで渡伯(註=ブラジルへ渡ること)した初期移民が帰属意識を持つのは祖国であり、在伯同胞社会であったが、そこへの窓口は邦字紙が任じていた。
 日本移民の歴史はブラジルの近代史と不可分の関係にあると同時に、日本のそれとも密接につながっている。加えて邦字紙の黎明期から第2次大戦前後までのいきさつは、日米関係を抜きには語れないものがあり、それらが相まって、移民を翻弄する「時代の波」となっていた。(敬称略、つづく、深沢正雪記者)