中島宏著『クリスト・レイ』第42話

「まったくないとは言わないけど、でも、このブラジルへ移民して来た直接的な動機は他の人たちと一緒で、日本での生活がとても貧しく、何とかそこから抜け出してもっと可能性のある世界に賭けてみようという、そういう希望が強かったということでしょうね」
「つまり、現状を打ち破って新しい世界に挑戦しようというような希望ということですね。それは、ヨーロッパからの移民もみんな持っていたものでしょう。
 そういう動機は、どこの国からの移民にも同じようあったと思うけど、日本からの隠れキリシタンの人たちの場合は、その思いがもっと強く、もっと切実なものだったというふうにも考えられますね。アヤの場合はどうかな。このブラジルへは一時的な滞在という感じで来てるわけじゃないでしょう。たとえば、よくあるような、ここでうまくお金を儲けて母国に帰り、そこで楽々と余生を送るというような、そういう考えで移民して来たということではないですよね」
「もちろん、そんなことはないわ。私に限らず、こちらに移民して来た隠れキリシタンの人たちのほとんどは、再び日本に帰るということは考えてないし、自分たちの将来はすべてここにあるというふうに考えているわね。
 話を聞いてみると、ヨーロッパから移民して来た人たちの中には、宗教的あるいは思想的な弾圧から逃れて来たという人たちが結構多いみたいだけど、でも、私たちの場合は、それとは大分事情が違うわね。たしかに、過去にはそういう弾圧や迫害があったことは間違いないけど、しかし、現代ではそういうようなことはまったく起きていないし、キリスト教徒だからという理由で理不尽な目に会ったりすることはあり得ないことだわ。
 ただね、私もそうだけど、過去に弾圧され続けてきたという歴史が背景にあるからなのか、私たちは現状に満足することなく、とにかく新しい世界を目指そうという考えを強く持っていることは確かね。
 多分、そのことがブラジルへの移民という行動になって表れているのだと思う。
 ほら、そういうことってよくあるでしょう。ずっと圧力がかかった状態が続くと、それに反発するようにして別の所で大きな力が加わって行き、あるときそれが、一度に爆発するというようなことが。
 まあ、爆発というとちょっと大げさで、穏やかではないけど、隠れキリシタンが持っている心情的なものには、かなりの部分そういうものが含まれていると思うわ。あの徳川時代の、天草の乱で起きたような爆発とは違うけど、何か内に篭もっていたものが、はけ口を求めるようにして飛び出そうとする意志が強く働くと言ったらいいのかしら、そういう気持ちがあったのは確かでしょうね。
 それが移民として、日本から海外に飛び出すというエネルギーにも繋がっているということかもしれないわね」
「その辺りは、僕にも何となく分かるような気がするね。そもそも移民というものには、そういう外へ飛び出そうとする意志が強く働くところがあるから、その点では共通しているということも言えそうです。
 ただ、アヤも言うように、隠れキリシタンの場合は弾圧された過去があるから、そういった気持ちは他の人たちと比べて、もっと強いということになりますね。