シリア難民に支援の輪=本紙座談会連載に反響=伯、日、独を結ぶ絆

感謝を伝えるモハメド君の映像

感謝を伝えるモハメド君の映像

 本紙で8月4日から16回連載した『サンパウロ難民移民座談会』(大浦智子著)を受けて、ドイツ在住のシリア人難民の家族へ支援の輪が広がった。8月14日付の第8回で取り上げたガラン・ジャロール(36歳)さんのことを知り、日本とドイツ在住の日本人女性たちから現金や食品、衣料品が寄付された。

 ガランさんは2016年にドイツのミュンヘンに難民として到着した。シリア戦争(2011~)で夫を亡くし、自身も被爆して片足に重傷を負い、身重の状態で当時13歳、12歳、10歳の子どもを連れてトルコから海を渡り、ギリシア、スロベニア、オーストリアを経てドイツに到着した。
 その直後に片足を切断。出産した4人目の子どもは双子だったが、一人は死産だった。約2年の難民キャンプでの生活を経て、ミュンヘン郊外のヴァイルハイムの一般住宅に移動させられ、以後、孤立無援の状態だった。ドイツ語が理解できないため、行政サポートの受け方が分からないままパンデミックとなり、食料すら尽きる状態に陥っていた。
 「このご恩は一生忘れません」――ガランさんによると、最初の寄付はドイツ在住の2人の日本人女性からで、寄付金と子どもの衣料品、フルーツの詰め合わせ。「ドイツで日本食が届くと私も嬉しいから」とアラブ食品の詰め合わせを宅配サービスで送ってくれたという。

ドイツで寄付された配送サービスでのフルーツ詰合せ

ドイツで寄付された配送サービスでのフルーツ詰合せ

 ドイツで受けられる行政サービスとその申請先もコピーして同封されていたため、その通りに手続きを行い、後に児童手当のキンデルゲルドや住宅補助を受け取ることができるようになった。
 「日本人にはドイツのシステムや感覚は理解しやすいですが、人付き合いの中で助け合って生きると言うアラブ人には、ドイツの行政サービスは想像しにくかったのかもしれません」とドイツでは自らも外国人であるその日本人女性は想像する。
 同『難民座談会』連載を読んだと言う日本在住の2人の女性からも、ブラジルまで問い合わせがあり、子どもたちの衣料品、玩具、寄付金などが、ガランさん宅に国際郵便で届けられた。さらにその知人からも協力の申し出があった。
 「ハビービ、シュクラン。ハビービ、ダンケシェーン(愛しい人、ありがとうの意)」と、アラビア語とドイツ語の2カ国語で、生き延びた双子の1人モハメド君(4歳)からの動画が、寄付をした人々にワッツアップで送られた。
 長女のラガッドさん(17歳)からはブランコに座って日本の旗を見つめる自分の姿と、片足となった母親と日本の旗、シリアの旗を描いた絵がお礼に送られた。 

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