GREEN KIDS=ラップに込めた心の叫び=高橋幸春(東京在住ジャーナリスト)=〈2〉

BARCO

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 出稼ぎで来日した日系人の多くの家庭では、ポルトガル語やスペイン語が使われる。当然子供たちも、日本語を話す機会は少ない。団地内でも飛び交うのはポルトガル語やスペイン語だ。
 双子の兄弟は地元の小学校入学式の日、自己紹介の順番が回ってきた時、日本語で話すことができずに泣き出してしまった。
 容貌も日本人とは異なる。母親は日系人だが、父親はバイア州出身で、二人はモレーノだ。この日から二人は「ガイジン」とよばれるようになった。
 45年も前のことだが、私自身、移民としてブラジルに渡った。妻も日系三世だ。19990年の入管法改正と同時に妻の親戚が大挙して来日した。しばらくすると妻は親戚から学校でのいじめの相談を受けるようになった。
 子どもたちが日本の学校に入学すると、必ずと言っていいほど浴びせかけられる言葉があった。「ガイジン」そして「自分の国に帰れ」という言葉だ。
 サンパウロ在住の心理学者、中川郷子は東京都で生まれ、幼い頃ブラジルに移住した準二世だ。彼女は2003年9月から11月まで愛知県豊田市の保見団地などでデカセギ子弟の教育状況を調査した。
 学校でのいじめが日系子弟に与える影響も大きい。愛知県刈谷市、保見団地や静岡県浜松市を中心に135人のブラジル人青少年にインタビューした。58%は日本の公立校に通おうとしたが、調査時点まで通い続けていたのはわずか10%のみ、通学をやめた最多理由はいじめだった。すさまじい割合で出稼ぎ子弟が登校拒否に陥っていたことがうかがえる。
 GKのメンバーも同じような経験をしている。BARCOも通っていた小学校でクラスメートからそうした言葉を投げつけられた。
 12歳で来日したPIGはまったく日本語が話せない。話せないまま中学に進む。
「日本語を教えてくれたのは、その学校で不良って言われていたヤツだった」
 日本人の生徒とこうしたデカセギ子弟との軋轢は各地で起きていた。外国人子弟に対する日本語などの支援は各地方自治体で進められたが、それだけでは不十分だったのだろう。
「何故、ブラジルから日系人がデカセギにくるのか、日系人の歴史を知っている生徒なんかいなかった」(PIG)
 その当時、中学校の教科書には、移民の歴史は北米、南米合わせて1、2ページだけだった。
「いつも俺たちは邪魔者扱いだった」(Flight-A)
「やさしくしてくれたのは、ガイジンの生徒に日本語を教えた先生くらいだ」(Swag-A)
「日本語がわからないから、テストの時間は寝ているだけ。回収される時、俺の答案用紙は涎で濡れていた」(Flight-A)
 中学校に進んだ二人を待ち受けていたのは「特別教室」だった。他の生徒とは違う教室、授業は一時間目から体育。
「やったのはドブさらいとか、他の生徒のマラソンコースの整備」(Flight-A)
「義務教育は日本人のためのもの、ガイジンは関係ないって……」(Swag-A)
「俺も同じことを何度も言われた。あれを言われるのがホントに嫌だった」(PIG)(つづく)

GREEN KIDS – Worry