中島宏著『クリスト・レイ』第70話

 これもいってみれば、日本の近代史の中の一コマなのだが、それに翻弄されたのは想像以上に多くの人々であったことは歴史上の事実である。そのような時代の背景があったために、ブラジルへの移民が成立したということなのだが、このことは、最初の時点からこの日本人移民たちの苦悩が予期されたものであったといっていいであろう。
 本当に、このブラジルの大地に骨を埋めるという目的と覚悟が最初からあった場合、この異郷での様々な悪戦苦闘の経験は、たとえそれが想像以上に厳しいものであったとしても、何とかそこを乗り越えることができたはずである。
 しかし、そうではなく、簡単な出稼ぎの感覚で来てしまった人々にとっては、この現地での大きなギャップは、耐えられないほどの巨大な壁となって立ちはだかることになった。さらに大きな問題は、日本に帰るということ自体が、ほとんど不可能だということに否応なく気付かされたという点にあった。ほんの数年の間に大金持ちになって日本に錦を飾るという夢は、粉々に飛び散るようにして、消え去ったのである。
 それは、想像を絶するほどの、まことに厳しい現実であった。
 まるで信じられないほどのその現実と対峙したとき、日本移民の人々は言葉を失い、我を失い、茫然自失の状況になった。が、そこで何もかもあきらめてしまって、生きることを含めて、すべてをやめてしまうわけにはいかない。一人だけならともかく、家族、それも多人数の家族を抱えての状況から逃避することはできない。とにかくまず、現状から目を逸らすことなく、現在の生活を維持し続けていかなければならない。過去のことを後悔しても、現状に悪態をついても、それによって物事がよくなって解決されることはあり得ない。むしろこの場合、ますます事態は悪化していくことになってしまう。
 結局、現実を認めざるを得ないし、そこから今までの思考とはまったく違った方向へ転換させつつ、そちらに進んでいかなければ、結果は急速に悪化していかざるを得ないであろう。精神的にも、特にこのことは大きな負担を抱えることになるが、一旦、移民としてこの国に来てしまった以上、それ以外の選択肢はもはや残されていなかった。
 一九三0年代後半のこの時代、全体としての日本人移民たちはこのような状況にあり、それによって彼らの移民としての思考は、出稼ぎから止むを得ず永住への道を辿っていくことになる。もっともそれは、完全にその動きに一度に変わったということでなく、徐々に、止むを得ないという感じを伴いつつ、その方向へ向かっていったということであった。それも最初は、ごく一部の人々に過ぎなかった。
 むろん、同じ日本人移民の中でも、そのような現実を認められないという人々も結構いて、彼らはあくまでも、絶対に日本に帰るということを前提として、物事を考え、行動した。考え方によってこのことは、彼らにとって生きていく上での一つの拠り所というふうにも言えたであろうし、移民という選択が間違っていたということを自らが認めたくないという姿勢があったとも言えるであろう。その是非はともかく、そこに日本人移民が持ってしまった想像以上に重く苦しい体験が、その後も長期間に亘って、横たわるようにして存在していくことになる。