中島宏著『クリスト・レイ』第79話
この植民地は、プロミッソンの駅から四キロ辺りの地点から始まり、ボン・スセッソ、ゴンザーガ、ビリグイジーニョの地区にまたがる、約一千四百アルケール(約三千四百ヘクタール)の土地であった。その大半が高地に位置し、平野植民地のような湿地帯はなかった。ゴンザーガ地区には部分的に低地があったが、そこは小川が絶えず流れ、水が淀んで湿地帯をなすという地形ではなかった。つまり、ここではマラリアの危険度はほとんど皆無であった。
無論、上塚は平野植民地の悲劇のことはよく知っていたし、その点も十分注意して土地を購入したわけだが、この辺りは僅かな時間的な差が結果として、くっきりとした明暗を作ったといえるであろう。
ある意味で上塚は、平野植民地の悲惨な経験から、大きな好運を掴み得たといえるかもしれない。その辺りの差は、どこから生まれてくるものかは分からないが、日本人に限らず、このブラジルにやって来た移民たちの背後には常に、このようにはっきりとは説明できない、運、不運に関わる何かが存在していたことは事実である。
ただ、移民全体の流れの中では結局、悲劇的な出来事が次の堅実なステップへの道標になったことは間違いなく、そのような犠牲を伴いつつ異国での開拓前線が広く、遠くへと繰り広げられていったということであろう。
上塚周平は、平野運平と同じように指導者としてのカリスマ性があり、移民の人々からの支持もさることながら、彼を慕って人々が集まって来るという面があった。その辺りは、多分にこの人物の持つ天性のものだったようである。
このプロミッソンの上塚第一植民地に他地方からの人々が集まって来たのは、ここが好条件を備えた土地であったこともあるが、やはり、上塚周平の名に惹かれたということが、その主な原因であった。
上塚第一植民地の特徴は、創設者である上塚一人だけの力ではなく、彼とともに参謀のようにして働いた鈴木貞次郎の尽力が大きかったという点にもある。
鈴木は、最初の日本人移民が始まる前に、皇国植民会社の責任者となった水野龍とともに、日本人移民導入の視察の目的でブラジルにやって来ている。鈴木貞次郎の初期の目的地はブラジルではなくチリーであったのだが、たまたま同船していた水野龍の強い誘いに応じて、ブラジルに来たという経緯があった。
彼はこの時の水野の協力者であり、ブラジルへの本格的な日本人移民をスタートさせた立役者でもあった。いわば、移民としての先駆者といえる。
その鈴木貞次郎が、上塚の植民地構想に賛同し、協力することになったのだが、そこには、上塚の持つ新しい移民像とその植民地計画に大いに共鳴したという事情があった。
それは彼が自身で以前から暖めて来た、日本人移民の理想的な形をなすものでもあったのである。上塚周平が、日本にいるときから理想として描いていたのは、日本以外の新しい世界で、これからの時代に沿った日本人の集団地を造り上げ、日本人が全体として大きく世界へ伸びていくという構想であった。