【特別寄稿】コロナ明けに行きたい博物館=コーヒーの歴史と魅力堪能=サンパウロ・ヴィラカロン在住 毛利律子

案外難しいコーヒー作り

カフェ・ファゼンダ・アリアンサ社の新商品「ドリップバッグ・コーヒー」

 ニッケイ新聞11月14日号に、カフェ・ファゼンダ・アリアンサ社の新商品「ドリップバッグ・コーヒー」のことが紹介された。私は幸運にも、この記事より一足先に商品を味わい満喫している。早速、その会社のネットサイト(https://cafefazendaalianca.com.br)をのぞき、興味深い話を見聞することができた。
 紙面記事には、「一般的なスーパーでは割高になる高品質の商品は販売してもらえない」とあるが、この頃、近所のスーパーではきれいなパッケージのコーヒーの値段は250グラムで、20レアル超えが一般的なのではないだろうか。
 ひと昔前とは品数もずいぶん増えて、値段も高くなったと実感している。日常食生活の嗜好品として欠かせない美味しいコーヒーが、国内向けの一般庶民にも、より身近になることを期待している。
 コーヒー栽培は厳しい。サンパウロに住み始めてすぐに、庭に幾種類かの木を植えた。その中に一本のコーヒーの木がある。
 植えて3年目に入るとすでに3メートルを超えた。この木の種類はアラビアコーヒーノキ(Coffea arábica)らしく、3~4メートルになる潅木で、枝は横に広がり、つやつやした美しい緑色の模様のついた披針形の大きな葉をしている。花は小さな星型をしたジャスミンのような白く可憐な花である。花が終わると枝にびっしりと緑色の実がつき、やがて深紅のルビー色に変わる。
 枝から一粒摘み取り、肉厚の実を割ると、二つの種子が現れる。それがコーヒー豆である。ほんのりとコーヒーの香りのする甘い実である。実が黒味を帯び完熟したところで収穫した。
 たくさんの方から、実を摘み、天日に干し、自家焙煎の方法を教えてもらったが、結果は惨憺たるものとなった。
 このコーヒーノキは植えて2~3年で開花結実し、実が熟するまでに9カ月ほどかかった。完熟した実を収穫するのは手作業だ。これが結構大変な作業である。
 かつて、日系移民の方々は数千エーカーのコーヒー畑で、炎天下を手袋もなしに手摘みをしていたという。今、たった一本の木に悪戦苦闘している者には想像を絶することである。
 収穫した実からよい実を選り分け、天日に干し、完全に乾燥した豆の果肉からコーヒーの豆を取り出すことを精製という。この段階で私の豆はほとんどがカビが生え、よい豆はごく小量しか取れなかった。
 摘み取りの時期が悪かったのだ。収穫は6月から9月の乾燥した時期に適しているそうである。私が収穫した4月は晩秋で日中の日差しは強いが、夜になるとかなり冷え込んだ。コーヒーには霜は大敵だ。一カ月以上も出したり入れたりを繰り返して天日に干したが、結局、豆全体が灰褐色のカビに覆われてしまった。コーヒー栽培に霜が大敵だと云うことを実感した。
 コーヒーは「煎る」ことによってはじめてその独特の香りと薬効の威力が増すという。豆の中に閉じ込められた良い香りを放つ油性成分が、火と直に接触する酸化作用で強められるというのである。
 浅煎りは薄い褐色、長く焙煎することによって色はだんだん黒ずんできて、いわゆる深煎りとなる。
 私もこの小量の生の豆を高温(200度ほど)のホウロウ鍋でゆっくりと焙煎した。日にちをかけ、いろいろと手が込んだ割には、結果的に出来上がったのは、一口とて飲めないコーヒーであった。
 ずぶの素人の私にとって、如何にコーヒー作りが厳しいことか、身を持って体験したことだった。

サントス・コーヒー館の巨大壁面画

サントスのコーヒー博物館の入り口(Fulviusbsas, CC BY-SA 4.0 , via Wikimedia Commons)

 日本政府は、コロナ禍で落ち込んだ旅行者・観光業者の再始動を図るためにゴートゥー・トラベル事業を立ち上げた。
 知人の話では、以前のようにどこでも大混雑、長蛇の列、ということが解消されて、非常に満足のいく良い旅行を楽しんでいるそうだ。
 ブラジルにもゴートゥー・トラベル キャンペーンができたら、再訪したい場所がある。サントスのコーヒー博物館である。
 博物館の資料によると、この歴史的建造物である前コーヒー取引所は1959年まで開催されていたが、1997年に建築家サミュエル・クルーシン(Samuel Kruschin)によって改修工事が始まった。
 そして、翌年3月12日、ブラジルのコーヒーミュージアム協会の同盟部門として博物館が創設された。1998年、コーヒー博物館は、伝統、建築、歴史、風味、香りを結びつける場所として開館した。
 6000平方メートル、200以上の扉と窓を備えた重厚な建造物内では、19世紀後半に国のシンボルの一つとして始まったコーヒー生産過程を見学する常設の展示場がある。
 1999年には、サンパウロ州のコーヒー産業連盟(SINGICAFE)の技術支援を受けて、コーヒー・センターも創設された。その目的は、バリスタの育成であった。
 博物館を経済的に支えるための観客の動員として、特にコーヒー愛好者へのブラジルコーヒーの普及に貢献するために、2000年には館内にカフェテリアが開館した。店内は、ブラジル各地域のコーヒーを精製、洗練された飲み物を売りにしている。
 以来、館内各所の充実が図られ、2008年にはサンパウロ文化省国務長官承認を経て、さらに拡充されていった。

 館内を入るとすぐ中央にコーヒー取引が行われていた大広間がある。その立会場のフロアはローズウッド(紫檀)が敷かれ、中央上段のアールヌーヴォー様式の大型の机は中央に大統領と両脇に秘書等の重要人物の席が設けられている。
 その席をぐるりと囲むように円型に取引人のための81の椅子とテーブルが並んでいる。ギリシャ、スペイン、イタリアから運ばれた大理石の幾何学模様の床には、ダビデ(David)の星が色鮮やかに刻まれている。

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 何といっても博物館の圧巻は、ベネディット・カリストと(Benedicto Calixto)による中央ホールの三連の大壁面画と、天井のステンドグラスの絵画であろう。
 高さ3・25m、幅9mの三部作のパネルに描いたコンセプトは、起源としての政治、軍事、宗教を包含した社会構造を描いていると、ベネディット・カリストは1922年9月7日に新聞A Tribunaで表明している。
 三部作の右に「1545年のヴィラ・デ・サントスの建設」の風景として、最初の入植者の家と最初の病院の敷地に旗が掲げられ、建設中の右側の丘の上に建てられたサンタ・カタリーナの礼拝堂と左手の評議会の家。左画面には、砂糖の輸出国として人口が増え始めた小さな通りの背景には、船が停泊している港の一部が見える。
 中央は、ブラス・キューバス(ブラス・クバス、サントスの創始者)によって建設中のイグレジャ・ミゼリコルディア(Igreja da Misericórdia)の広場で、ペロウリーニョの柱(Columna do Pelourinho)の前に立つ創始者。
 額縁にはブラジル特有の鳥や動物群に交じって、四隅に、「仕事と秩序」と「農業と貿易」「芸術と産業」と「進化と進歩」という句を掲示している美しい絵画である。

圧巻のステンドグラスに潜む?
古代の翼竜アニャンゲーラ

 私は数回この場所を訪れたことがある。コロナ禍の前までは、世界中の観光地はどこも人で溢れていた。コーヒー博物館も同様に常に館内は大混雑し、しかも、止むことがない大声のおしゃべり、子供が走り回るといったマナー違反が目立っていた。
 館内を案内する学芸員は、日本の几帳面で厳格な風体とは大違いである。Tシャツに短パン、腕や足の広範囲にタトゥーを入れた若者が案内をしてくれるが、彼らは至ってかわいらしい笑顔で熱心に解説し、おしゃべりを止めない客に対しても実に優しく親切である。そのような彼らの忍耐強さには、心から感心させられた。
 しかし、天井のステンドグラス絵画を見上げながらの説明は、そういう雑音の多い中では聞き取れない。業を煮やした私は、群れから離れ時間をずらして学芸員に詳しい説明をお願いしたところ、大変気持ちよく対応してくれた。
 彼によると、ステンドグラスの絵にはブラジルの3つの大きな発展期を表現されている。中央の植民地時代は、ポルトガル人コンキスタでアニャンゲーラ(トゥピ語で古い悪魔)として知られるバルトロミュー・ブエノ・ダ・シルバと、水の母に囲まれた金の母」との出会いを描いている。
 左側にコーヒー、サトウキビ、綿の場面として「農業と豊かさ」、右側に貿易、輸出の近代化が「共和国の産業と商業」として描かれている。

両翼の幅が5m近いアニャンゲーラ(From Wikimedia Commons)

 この中央の絵の中に登場するアニャンゲーラ(Anhanguera )は、白亜紀前期に生息していた翼竜。白亜紀とは約1億4500万年前から6600万年前のことで、この鳥の化石がブラジル北西部のアラリペ台地にあるサンタナ累層から発見された。
 両翼を広げると5メートルほどになる大鳥である。それが、1500年当時のインディオのトゥピ族の神話において、悪魔・悪霊とされる精霊の名で、アニャンガ(Anhanga)。それに「古き者」を意味する”nera”を付けた言葉で、「年老いた悪魔」という意味で知られていた。
 そのアニャンゲーラというあだ名をつけられた男、バルトロミュー・ブエノ・ダ・シルバは、ブラジルの内部を探索した最初のバンデイランテである。彼は、奥地で先住民が金の飾りを付けているのを見た。
 そこで彼は、インディオを奴隷にしただけでなく、カッシャッサを小鉢に満杯にして火をつけて見せるトリックを使って、「金を渡さないと川に火をつけるぞ」と脅し彼らから金を奪ったという話である。
 それまで名調子で語っていたその青年が、急に声を潜めて言った。「ときどき、あのステンドグラスの背後に両翼を大きく広げたアニャンゲーラの影を見たという人がいる」という都市伝説があるというのだ。
 「エッ!」と叫んで上を見上げると、「イヤイヤ、心の悪い人にだけしか見えないから大丈夫!」と言ってくれた。そのオチはまるで、日本のどこかの神社仏閣巡りで聞いたような話ではないか、と苦笑し、「そんな影が見えなくてよかった…」とホッとした。

鳥の糞から作ったコーヒーとは

 帰りにカフェテリアに寄った。何かお勧めのお土産コーヒーはないかと尋ねると、「鳥の糞から作ったコーヒーがある」という。もう少し丁寧に言うと、「鳥が食べて消化したコーヒー豆を、洗浄、焙煎した」コーヒーだ。
 値段を聞くと、100グラム、120レアル(3年前)というのだ。ブラジル製ではなく、輸入品だと言った。ブラジルのコーヒー博物館のカフェテリアで輸入した高級コーヒーとは!なんとも良い土産話であった。
 ブラジルは、国としては若いが、非常に豊かな地理学的・人類学的背景、歴史的、文化的に尽きない宝の埋まった国であろう。コロナ禍が去って再び小さな旅ができるとしたら、ブラジル国内の歴史探訪も魅力的である。