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中島宏著『クリスト・レイ』第88話

「でしょう、マルコス。ということはね、みんな一様だと考えている像は、現実にはそれぞれが異なっているということになるわけでしょう。私が言いたいのは、その点なのよ。イエス キリストの像はすべてまったく同じで、それが世界中に普遍的なものだというふうには、決して断言できないのじゃないかしら。
 確かに、一般論からいえばキリスト像は普遍的なものなんだけど、でも、詳しく見ていけばそこに、国柄とか地域的なものに影響されて変貌している部分が、必ずあると思うのね。つまり、私が言いたいのは、隠れキリシタンの持つ流れは、特殊な歴史を持ったがために、その辺りが特異な形になっていったということなの。
 それが結果として良かったか悪かったかということは誰にも分からないけど、どちらにしても、歴史のいたずらによって、そういう独特の形のものが生まれて来たことは事実だし、そのことが現在まで継承されて来ているということなのね。何だか自己弁護のように聞こえるかもしれないけど、私が言いたいのはそういうことなの。いわゆる隠れキリシタンのキリスト像が、本来のものと形が変わっているのは、そういう理由からだし、そして、そのことは決して不自然でも不合理でもないと私は考えるわけね」
「ということはアヤ、あなたたちのキリスト教は、元のローマ・カトリック教会の流れを汲んでいて、その教えも変わることはないけど、その姿が時と共に若干変化してきたというような感じですか。つまり、表現の仕方とか解釈の仕方が、あの日本の鎖国時代のものに繋がっていて、その形が現代まで継承されて来ているということなのですか。だとすればそれは、あなたたちにこのブラジルまで持ち込まれて、変わることなく続いているということになりますね。
 それが、隠れキリシタンの持つ独特のカトリックであり、このブラジルのカトリックとも相容れない面を持っているということになりますね。大体、そういう解釈でいいのでしょうか」
「そうね、マルコスの今の説明でいいと思うけど、ただ、相容れないというと何か、意地を張るようにしてこだわっているようにも聞こえるけど、実際にはそれほどまでの強い思いはないというのが正直なところかしら。
 別に、私が隠れキリシタンの教会を代表しているものでも、もちろんないし、私の意見がすべてを説明しているわけでもないけど、あえて、隠れキリシタンの立場や考え方ということになると、多分、このような形が皆の中にあるのだと、私は思ってるの」
「それは、僕もその通りだと思いますし、アヤの説明で、その辺りはよく分かったつもりです。こういう話は、どちらが正しく、どちらが間違っているというような結論になるようなものではないですから、その通りでいいのではないでしょうか。
 ところでね、アヤ。日本で長い期間に亘って虐げられてきた先祖の流れを汲むあなたたちは、このブラジルへ移民することについては、どのような気持ちが働いたのでしょう。つまりですね、日本から新しい世界に脱出することによって、これから先の遠い将来への希望が大きく膨らんだとか、キリスト教を国教とするブラジルへ移民することがすなわち、本当の意味での自由を得られることになるとか、そういった開放感のようなものを感じたことはあったのですか」
「私の個人的な気持ちとしては、新しい国に移民することは、一種の冒険に通じるところもあって、その点ではかなりの高揚感があったことは事実ね。だから、虐げられたから日本を脱出するという意味合いとはちょっと違うわね。

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