中島宏著『クリスト・レイ』第90話

 まあ、移民して来たことの動機は、いってみれば単純明快といったような形のもので、それは、遥か遠くの地平線を目指して行くというような、開拓精神に繋がるものであったかもしれないわね」
「その辺は、僕にもよく理解できますよ。あなたたちに限らず、ヨーロッパから来た僕の先祖たちも、皆同じような考えや精神で、このブラジルにやって来たのですからね。
 ただ、そこのところで僕がちょっと面白いと思うのは、あなたの先祖が長年守り抜いてきたキリスト教というものを、そのままこの国に持ち込んで、それを一つの核のようにして大切に保存しつつ、継承し続けているという点ですね。
 ここでは、決して迫害や差別されるということもなく、その流れはこれからもずっと続いていくことになるわけだから、あなたたちにとって、この状況は理想に近い形のものじゃないですか。国は変わっても、習慣や言語が変わっても、あなたたちが何百年、苦悩と共に紡いできた精神的なものは、ブレることなく遠い将来に向かって繋がっていくわけだから、これはまさに、夢といってもいい世界だと僕は思いますね」
「本当、その通りよね。この国では、何かすべてがおおらかで、些細なことを一々気にすることなく生きていけるという雰囲気があるし、事実そういう生き方が可能だから、確かにここは、理想的な世界というふうに言えるかもしれないわね。
私たちにとってブラジルは、新たなる国でもあるし、ここでずっと一生暮らしていくという大きな目的もあるから、それだけ、これからここで生きていくことに対しての心構えも広大で、深いものがあると言えるわね。
 もっとも、現実はなかなか理想通りにはいかないけど。
 でも、今までとはまったく違った世界での人生というのは、日本にいたら到底経験できないことだし、これってすごく意義のあることだと私は考えているわ。
 もう再び日本へは帰らないという心構えで来ているから、私にとっては、とにかくこの国でどこまでも伸びて行こうという気持ちでいっぱいだわ。マルコスだったら多分、今のこの私の気持ちが分かってくれると思うけど、でも、どうなんでしょうね本当のところは。この気持ち、あなたに分かるかしら」
「僕も移民の末裔の端くれとして、一応、今、アヤの言っていることはよく理解できますよ。今まで生まれ育った国を離れて、まったく新しい国に移り住むことは、決して生易しいことではないけど、でも、そこには何というのかな、それまでには経験しなかったような、緊張感とか、高揚感とか、興奮とかがあって、それに挑戦していくというところに、大きな意義を感じるという心境は、僕にもよく分かりますね。
 それにアヤの場合は、隠れキリシタンの流れをどこまでも継続させていこうという遠大な目的があるのだから、その気持ちはもっと強く、はっきりした形を持つものだといえますね。その点は僕も大いに共鳴できますね」
「マルコスにそう言ってもらうと私もうれしいし、それによって、何だかもっと勇気が湧いてくるという感じね。それにしても、こういうふうにマルコスと知り合いになって、こういう話が出来るようになるとは、ちょと前までは想像していなかったわ。こんなに、ざっくばらんな形で、こういう問題を思うままに話し合えるというのは、誰とでもというわけにはいかないでしょう。