中島宏著『クリスト・レイ』第91話

 はっきりいうとね、私たちの仲間では、もうお互いが分かっているという感じだから、あまりこういう問題に関して話し合うとか議論することはないわけよね。それが、あなただと自然にこんな話が出来る。
 何なんでしょうね、これは。つまり、何なんでしょう、こういう出会いというのは」
「それは、キリスト様の思し召しということでしょう。
 と、まあこれは冗談だけど、でも、僕があの友だちに誘われて日本語を勉強するということがなかったら、僕とアヤとの出会いはなかったことは確かだから、そのきっかけを作ったのはやはり、彼だったということになるでしょうね。でも、それ自体も何かの導きによって生まれたという考え方もあり得ますね」
「つまり、それを宗教的なものに結び付けるという発想なのかしら」
「僕は、あなたほど宗教に繋がっているわけではありませんから、そういうふうには考えないけど、でも、何か僕たちの目にははっきり見えないところで、そういった力が働きかけるということは、ちょっと信じたいような気持ちもありますね」
「ねえマルコス。こんなこと言ったらちょっと誤解を受けるかもしれないけど、私ね、あなたとこうしていつもいろんな話をしていると、何だか私たちはお互いに、共通したもの、波長の合うものを持っているように感じられるの。
 こんなふうにね、考えていることをはっきりぶつけ合うようにして話ができるというのは、そういつも誰とでもあるということじゃないと私は思うの。正直なところ、こういう話、つまり、宗教や人生に関した話を、これだけ一生懸命話し合うという経験は今まで私にはなかったわね。その相手が、マルコスというブラジル人でしょう。あ、いえ、これは別に、ブラジル人だからとか、日本人だからという偏見ということじゃなくて、過去に日本人以外の人とここまで話し合ったことはなかったという意味ね。
 まあ、私の場合は、あのドイツ人の宣教師の方たちといつも一緒だったから、いわゆるガイジンというものに対する違和感というものは、それほどなかったけど、でも、マルコスのように近しい間柄になって、ここまでの話し合いができるということは、あなたと知り合うまでは全然想像もしていなかったわ。
 だからね、最近は出会いというものの不思議さをつくづく感じさせられているところなの。さっきのマルコスの話のように、これをキリスト様の思し召しとは思わないけど、でも、私たちには何かそういう運命的な出会いというものが用意されていたような気分にもなるわね。その辺が何とも不思議な感じがするんだけど」
「宗教的なものでないとすれば、運命的なものということですか。確かにそこには、不思議な雰囲気さえありますね。そのことでは、僕もまったく同感ですよ。波長が合うという表現もいかにもそうだという感じですね。なぜそうなのかというところまでは分からないけど、これも言ってみれば、ある確率の下に僅かな可能性であっても、こういう現象が起きるということなのではないですかね」
「現象? マルコス、今、現象と言ったの? 本質的なものが、外観に現れてくることを現象とも言うけど、それって二人の本性が表れたということかしら」
「アハハハ、、、アヤもなかなか面白いことを言いますね。でも、その見方は結構、図星かもしれませんね。どちらも相手に強く惹かれる力を感じているとすれば、それはつまり、波長が合うということに繋がり、そこからもっとその先を知りたい、つまり相手のことをもっと知りたいということに繋がっていくことになるでしょう。それはある意味で、本性が表れ始めたともいえますね。