中島宏著『クリスト・レイ』第104話

 この時の情勢から考えてみても、政府の措置は至極当然のことであったといえる。そしてそれ以降、折からのナショナリズムの流れと相まって、外国人にとっては急速に厳しい状況に突入していくことになった。
 そして皮肉なことに、隠れキリシタンの人々が懸命に努力して建立した、あのクリスト・レイ教会が完成した年の一九三八年辺りから、外国人に対する締め付けが目立つようにして強化され、第2次世界大戦勃発によってそれがさらに一段と強くなっていったのである。
 このアンチ外国人という流れは、無論、ヴァルガス政権の最初からの目的ではあったが、そこにはそれなりの原因と、その時代の世界的な背景があった。
 ドイツにその例が顕著であったように、経済的にも政治的にも行き詰った国々は、それを打破するために新しい流れを必死に探し求めていったのだが、その先にあったのは前述したような国粋主義という形であった。
 戦争によって国家が崩壊し、国民のすべてがどん底の貧困に虐げられ、行き場をなくした時、そこから芽生えてくるのは結局、その現実から逃避するような形での国威発揚という思想の現れであった。
 そして、それが極端なまでの高揚と興奮とに包まれる時、それはある種の狂気を伴う思想を作り出していく。それが、ファシズムである。
 ブラジルでのヴァルガス政権の場合、思想的にそこまでの狂気には至らなかったが、この時代、世界に蔓延していった自分たちの国を守るという強い意識と、国への忠誠心という流れにはブラジル国民も敏感に反応していった。
 世界全体が先行き不透明な、きな臭い状況に突入していく段階では、それぞれの国が相互に愛国心を高揚させ、国をまとめていくという行動に出るのは、当然の成り行きであろう。ブラジルの場合、紛争が真近に迫っているというほどの緊迫感はなかったが、それでも、この時代の世界の潮流に感化されたことは間違いないことであった。
 ジェトゥリオ・ヴァルガスが、そこに敏感に反応し、その危機感から独裁政治を確立させていったのは、そのような時代背景があったからである。
それは、勃興しつつあったドイツ、イタリア、そして日本という枢軸国に存在した強烈なまでのファシズムには及ばないものではあった。
 しかし、ブラジルという、それまでは自由を絵に描いたような特質を持っていた国としては、かつて見られたことのなかった厳しさを伴う政治体制であった。そして、奇妙なことに一般の国民はこの傾向を歓迎した。それはあるいは、今まで見たこともない体制の斬新さに対する驚きと支持ということであったかもしれないし、国家を挙げての愛国心を鼓舞するやり方に、心のどこかで啓蒙されたように感じていたのかもしれない。
 ヴァルガス政権が思いがけず長期に亘って続いたのは、それだけ、国民の支持の大きさを物語るものでもあるが、その他にも、この社会思想を強く持った政権が、それまでの資本家やブルジョア階層の人々から、一般大衆の人々にその政策の基軸を移していったという点に、その大きな原因があったといえるであろう。
 その意味で、この時代のブラジルは、それまでにはなかった一つの転換を試み、それを具現化していったという点に特徴があったといえる。世界の流れの中の一環として、ブラジルにも愛国主義の流れが生まれていったのだが、それはある意味において、世界中から集まって来た移民の末裔たちが、今さらのようにブラジルは自分たちの国だという意識を植え付けていった時期と呼べるであろう。