中島宏著『クリスト・レイ』第105話

 アメリカほどではなかったが、ブラジルは移民を大々的に受け入れることによって、短期間に多くの外国人たちが増えていくことになった。そして、それらの外国人たちは当然ながら、それぞれの文化と風習をこの国に持ち込んだ。結果として、ブラジルという国のアイデンティティーが揺らぎ、あいまいなものとなっていく傾向が出始める。そのままの流れを傍観すれば結局、ブラジルは、誰の国でもないというような識別不明な国になりかねない。
 この国で最も古い歴史を持つポルトガル系の人々や、すでにブラジル人になっている、二十世紀以前にやって来た移民の末裔たちは、この点にある種の危機感を抱いた。あまりにも急激な外国からの移民の増大は、それ自体がブラジル人にとっては脅威であり、それに対抗するようにしてナショナリズムが勃興していったのも、ある意味では当然の現象であったといえよう。

 そのように事態が急展開していく中で、最も甚大な被害を受けたのは、外国人である移民たちであった。特にそれは、ドイツ、イタリア、日本の枢軸国から来た人々にとって想像以上の厳しさを伴うものであった。
 第2次世界大戦が始まる前から、外国語による学校に対してある一定の規制が課されていたが、この大戦勃発を機にそれが一挙に先鋭化していった。一九三九年以降、ブラジルにおけるすべての外国語教育が禁止され、それまであった外国語学校は例外なく閉校の憂き目にあった。
 無論、学校だけでなく、外国語による新聞、雑誌の発行もすべて禁止ということになった。特に、ドイツ、イタリア、日本の移民社会に対する監視が厳しくなり、これらの人々の行動への取り締まりも目に見えて強まっていった。
 そんな中で問題になったのは、移民の末裔たちの立場であった。ブラジルで生まれた以上、彼らはすべてブラジル人である一方で、その親たちである移民たちは外国人であり、特に枢軸国の人々は敵であるという理屈になる。
 厳密にいえばこの時期、ブラジルはまだ中立の立場にあったから、必ずしも敵国人ということにはならなかったが、しかし、様々な状況から見ても、ブラジルは常に連合国側にあったから、いずれそのことははっきりしていくはずであり、いわばそのことは時間の問題でもあった。
 このような事態の急変から、日本人移民たちの間にはかなり大きな動揺が起きていった。
 ドイツ人やイタリア人移民の場合は、その歴史が古いせいもあって、彼らの移民社会の世代が二世から三世に移っていくという段階であり、一世たちの存在はそれほど大きなものではない。しかし、日本人移民社会の場合は、まだその大半が一世の時代であり、いわば国籍上でのブラジル人は少なく、ほとんどが外国人という立場にあった。その分、彼らの苦悩は大きく、それは大げさでなく、この国での将来の人生を左右してしまうほどのインパクトを持つものであった。
 一体、自分たちはこれからどうなっていくのか。
 誠にそれは、巨大といえるほどの課題であった。
 出稼ぎという目的でこの国に来ている以上、要するに目標とする資金を稼ぐことができれば、その時点で日本へ帰ることになることは分かっている。いつまでもこの異郷で、外国人として扱われて生きていく必要はない。
 ここで生まれた子供たちも連れて帰るつもりだから、この国の国語であるポルトガル語を教える必要もなく、むしろ、これまでやって来たように日本語だけを教えればそれで事足りたはずであった。世界やこの国の情勢が思わしくなくなってくれば、その時点でさっさと母国日本へ帰ればそれで問題は解決されることになる。
 解決されるはずであった。