中島宏著『クリスト・レイ』第106話

 が、しかし、現実はそれほど簡単なものでも生易しいものでもなかった。
 この時期、日本人移民のほとんどすべてといっていい人々が、肝心の資金を稼いで帰国するという目的からは遠く離れた場所に佇まなければならない境遇にあった。借金の返済すら覚束ないという状態では、家族揃って日本に帰国するなどということは夢のまた夢に過ぎなかった。
 短期間での帰国が無理であれば、結局、このブラジルで末永く暮らしていくしか他に方法はない。つまり、永住ということである。しかし一方で、この国に永住するということは、いつまでもここで外国人として、しかも敵国人として生きていかなければならないことになる。
 そのようなことは考えられないし、あり得ないことである。
 ほとんどの日本人移民はそう思うのだが、現実は想像以上に厳しい。
 そのあり得ないことを甘んじて受け入れつつ生きていかなければならない。問題は、そのような状況に耐えていけるのかどうかという点にあった。この時代の日本人移民は、昭和に入ってからのやや偏った傾向の思想を受け継いでいたから、ブラジルに来てもそれが弱まるどころか、逆に、さらに強いものとなっていった。
 もっとも、この愛国というものを中枢に据えた思想は、当時の世界の潮流のようなものであり、それが自然の流れでもあった。ブラジルの国民が愛国心に目覚めるようにして、緩やかながらも国粋主義の流れに傾いていったこの時期に、日本にはそのかなり以前から、それを相当上回る勢いでの全体主義への道を進んでいた。
 そしてその傾向は、一九三七年(昭和一二年)の日中戦争が勃発して以降、ますます顕著なものとなっていったのである。
 要するに、この時代における日本の国民の思考は、徹底した愛国主義に固まっていったのだが、当然そこには、狭義の意味での民族主義というものが明確な形で現れていた。そして、それがブラジルに移民して来た日本人一世たちの、思考の根源となっていた。
 実はそこに、日本から海外へ出て行った日本人たちのジレンマと苦悩が隠されていたのだが、それは、国を移すことによって簡単に変わってしまう性質のものではなかった。むしろ、文化、習慣、言語の違いという環境の下では、そのジレンマはますます拡大し、増幅していくようであった。
 とにかく、そういう複雑な心理的問題を抱えつつ、日本移民の人々は、このブラジルという国で、最初持っていた希望や期待とはまるで正反対な状況の下で生きていかなければならないことになった。
 そしてそれは、精神的にも決して楽なことではなかった。よほど強い信念を持っている人間でない限り、この局面での異国での生き方は、耐え難いほどの忍耐を必要とした。
 誰もこのような事態の急変を予見した者はいなかった。
 確かに、最初考えていたような夢のような状況とはまったく異なった、天と地ほどの差がブラジルの現実にはあったが、しかし、長期に亘るというふうに考えれば、それに対処していくことは決して不可能なことではなかった。
 日本からやって来た移民の人々は、ようやくその辺りの現実を見据えて、気持ちの上でもそれに対応し、整理することが出来るようになってきた矢先、第2次世界大戦が勃発し、彼らを取り巻く状況はさらに思いがけない方向に進んでいくことになる。