特別寄稿=《ブラジル》疫病は繰り返すものと知る=罹ったら死ぬしかなかった昔=サンパウロ市在住 毛利律子

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鎌倉時代、狩野派の英一蝶作とされる九相図。小野小町を描く。九想図)とは、屋外にうち捨てられた死体が朽ちていく経過を九段階にわけて描いた仏教絵画。名前の通り、死体の変遷を九の場面にわけて描くもので、死後まもないものに始まり、次第に腐っていき血や肉と化し、獣や鳥に食い荒らされ、九つ目にはばらばらの白骨ないし埋葬された様子が描かれる(https://wellcomeimages.org/indexplus/obf_images/1f/4b/899ef4a1950be0e871ddf170981a.jpg Gallery: https://wellcomeimages.org/indexplus/image/L0070289.html Wellcome Collection gallery (2018-03-30): https://wellcomecollection.org/works/jmgj8dpb CC-BY-4.0, CC 表示 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=36266661による)

 

「去年今年貫く棒の如きもの  虚子」
 これは高浜虚子の俳句である。虚子は生涯に20万句を超える俳句を詠んだとされるが、現在活字として確認出来る句数は約2万2千句あり、その中の一句である。
 愛媛県生まれで正岡子規に師事したが、鎌倉に移り住み50年、由比ガ浜の自宅で85歳で亡くなった。この句は、虚子は76歳の昭和25年(1950年)歳末に詠んだ句で、鎌倉駅にも掲出され、それを見た文豪川端康成が衝撃を受けたこともよく知られている。
 この句の「去年今年(こぞ・ことし)」とは、大晦日の夜を境に去年と今年が入れ替わることを表す季語。去年が今年に入れ替わり、一夜明けると昨日は去年となり、元日は今年となる。
 このようにして、人は時の流れに区切りをつけて生きている。しかし、時というものは過去・現在、未来を通して貫く一本の棒のように連続しているものなのだ、と虚子は詠む。
 仏教では、「過去の原因は現在の結果となり、現在作った因が未来の結果となる」と、過去・現在・未来は一貫して連続した時の流れであると教えている。
 今年の年始は世界中の人々が、この災禍が一日も早く終わることを願って、自分のためにも、世界のためにも敬虔に祈ったということが報道されている。
 人類は古代から、数百年の周期で疫病の猛襲によって斃されてきた。歴史的に高度文明が築かれると、人口増大、大規模移動が起こる。すると疫病の猛襲が始まる。
 疫病は周期的に襲来するという歴史的事実は厳然としてある。それは一本の棒のように、過去・現在・未来を貫いているようである。
 この俳句が私には例年になく感慨深く思われた。今のコロナ禍が今年も貫き通す様相を呈しているからである。

新型コロナは21世紀の疫病

 感染症には、再興感染症と新興感染症がある。
 再興感染症とは、大昔からのコレラ、結核、ジフテリア、梅毒、ペスト、マラリア、黄熱、チフス、赤痢、インフルエンザ、ハシカ、デング熱などは一旦制圧した感染症が再度、何らかの原因で増加するもの。
 新興感染症とは、「エイズ」「エボラウィスル」「鳥・豚インフルエンザ」「SARS・コロナウィルス」などであるが、これらは1970年代から始まり、わずか50年の間に世界に広がった不可解な伝染病といわれている。
 この目に見えない病は、世界が佳境と化し、科学・医療技術の発展で高齢化社会が実現した現代社会をいとも簡単に、完全麻痺させているのである。
 コロナウィルス感染症は21世紀に入ってすぐに現れたSARSコロナウイルス(通称SARSウイルス)に始まる。2002年十一月十六日に中華人民共和国の広東省で40歳代の農協職員が発症した例が最初とされている。
 以後、2012年、中東でヒトコブラクダを感染源として起きた「MERSコロナウイルス」、狂牛病、家畜の鳥・豚インフルエンザ‥。
 そして今、終息の目途が立たない新型コロナウイルス・COVID―19である。この新型コロナウイルスは専門家にも、まだ正体がつかめず、重度の肺炎になる。肺にダメージがあると、ECMO(体外式膜型人工肺)という器具を使うが、それを使う専門医は少なく、一人の患者に十人以上の医師、看護師、臨床工学技士などが24時間つきっきりで対応し、医療費も莫大だという。
 それだけではない。免疫系が暴走してサイトカインストーム(サイトカインとは免疫系の様々な物質)が起こり、全身の血管が詰まり多臓器不全で亡くなることもあると報告されている。
 このような状況下で、アメリカ疾病管理予防センター(CDC)では、このような疫病が繰り返されるであろうと予測して、新たな感染症発症時の対策を立て、推奨事項を提供している。
 その内容で目を引くのは、医療従事者への注意喚起である。医療従事者も人間であり、患者、感染していない人も含めて皆、疲弊、困憊し、深刻な精神疾患を抱える。
 ここではその項目すべての紹介はできないが、その中から一つ上げたい。情報過多の時代の心得である。
《『メディアの情報を制限しましょう』
 現代の24時間体制でのニュース報道では、テレビ・ラジオ・あらゆるニュース発信から離れることが難しい事があります。
 しかし、研究によれば、ストレスの多い出来事のメディア報道を過剰に見聞きすると、メンタルヘルスが悪化する結果につながります。信頼できる報道メディアから必要な情報を収集し、以降は電源を切りましょう。患者にも同じことをするようアドバイスしましょう》
 このような注意喚起がされることは、現在の超高度経済・科学、医療、情報社会における正体不明の疫病との闘いの中で問われることは、一人一人(因)に、無制限、無責任、野放図な行動(縁)が残念な結果を生むのである、ということを分かってほしいということである。

疫病は「災」か、「禍」か?「終熄(終息)」それとも「収束」か?

 「コロナ禍」でよく使われる言葉は「禍(カ・わざわい)」である、それはどういう意味があるのだろう。
 古くから日本語には災害に関する言葉が数多くあり、その一つ一つに深い意味が込められていて、調べる都度に感銘を深くする。
「災禍(さいか)」の「災(サイ・わざわい)」は「自然に起こる、人力では防ぎようのない災害」のことで、「禍(カ・わざわい)」は、人間の営みによって引き起こされること。
「戦禍は、戦争による混乱」「輪禍は、自動車事故」「舌禍は失言」「薬剤禍は薬の害」、東日本大震災以降に生まれた「原発禍」などのように、人間の工夫や努力によって防ぐことができた事象や被害を表していることが多い。
 漢字「禍」の偏が「神」を示す「示偏」が使われていることから、「災禍をどこまでが人為か、天災か」を分けるのは難しいという。自然現象の激変、地球規模の天災と人災の区分は明確にすることはできず、むしろ相互に連動しているというのが「災禍」ということになる。
 また、「終熄(終息)・収束」の意義を調べると、「衛生学の論文では、感染症には『終息』を使う例が多く」、一方、「収束」は「集めて束ねる」という意味で、インフレ、ストライキといった人の活動などを「抑える」場面で使われ、それは「終わり」という結果を指すのではなく、収まっていく過程に注目するので「収束」の字を当てることが多いということである。
 いったんは収まるかのように見えた災厄が必ず繰り返すことを教えているのは、あらゆる時代の名作・名画で、それは洋の東西を問わず残されている。これらを通して、疫病の本質を探ることができるのであるが…

「未来への記憶」として遺された文学

 日本の古典文学や名画には仏教の思想を基にして、災禍の実態と、教訓を描写しているものが非常に多い。
 西洋文学にも、数千年前から出来上がった「ギリシャ神話」をはじめとする、物語、聖書、近年の文学、絵画などに、疫病の猛威にさらされる人間の姿を、黙示的に連綿として未来への伝言として遺しているのである。
 日本各地で現在取り組まれている活動には「災害と文学」講演会や医療従事者が体験を通して語る会や勉強会などがある。講演者は表情の見えるアクリル板の向こうから話し、参加者もコロナ対策をしっかりして、どの会場も盛況ということである。
 「災害と文学」講演会では、今回のコロナ禍がちょうど百年前に世界的パンデミックとなったスペイン風邪の状況下に酷似しているということから、2011年の東日本大震災のことなども併せての学際的な内容が紹介されている。
 20世紀は、人類史上、未曽有の殺りく兵器を使って経済大国数十か国を巻き込み、人間を大量虐殺する戦争を2度も経験した。一つが1918年の第一次世界大戦であった。その時に大陸移動をする兵士の中から、「スペイン風邪」が世界に広がった。
 スペイン風邪(=スペインインフルエンザ」は、1918年―1919年にかけて全世界的に大流行し、第一次大戦の戦死者の約四倍もの死者(おそらくは1億人を超えていたと推定される)を出した。
 日本では大正7年(1918年)から3年間で関東大震災の4―5倍にあたる約40万人の死者が出たといわれる。その状況を日本の文学者たちは小説にして残した。
 それが今、再び読まれている。
 例えば、講演会「災害と文学」の主な作品には、志賀直哉『流行感冒』(近々、NHK・BSでドラマ化され放映されるらしい)、宮本百合子の『伸子』、与謝野晶子『感冒の床から』と『死の恐怖』。
 これは当時の政府の疫病対策を批判する評論である。
 武者小路実篤『愛と死』、菊池寛『マスク スペイン風邪をめぐる小説集』など、近代文学を取り上げている。

実相を書き残した人々

 実際に災禍を体験した本人や医療者、縁故者は、心の傷があまりに大き過ぎて、その時の記憶が無くなってしまう(解離)ことや、数十年経っても語れないことが多い。だが今日、記録映像として事の一部始終が残される。
 かつて最も災害疫病が激しかったといわれる鎌倉時代などは、身分にかかわらず、死ぬ人は自然に死ぬしかなかった。その中で、疫病に罹り、ひたすら呻吟しつつ死にゆく姿を直視し、忠実に再現し、絵にして残した人々がいた。
 代表的な絵が、「六道絵」や「九相図」である。「六道絵」には、「地獄のような凄惨な状況」や「阿鼻叫喚な様子」「非常にむごたらしい様子」を表現するときに「まるで地獄絵図のよう」という四字熟語を使うが、その実相が描かれている。
 「九相図」は野に打ち捨てられた死体が朽ちていく経過を九段階にわけて描いた仏教絵画で、九つの死体図の前に、生前の姿を加えて十の場面を描くものもある。
 死んだ当初から、骨になるまでの様子を凝視して描く。このような絵師がいて、また、その朽ち果てていく亡骸に向かって成仏を祈る僧侶がいた、というのが鎌倉時代に興った仏教始祖たちであった。ちなみに髪の毛と骨は虫が付かないので腐らない、ということである。
 災厄は想定外の危機でも荒唐無稽でもないと、数千年も前から書かれ続けた「未来への記憶」の数々。
 今の災禍は過去にもあった。そして未来も起こる。その中で人間は、驚くほど同じことを繰りかえしている。
【参考文献】
Time Health, History of Pandemic
https://www.niid.go.jp/niid/ja/route/protozoan.html国立感染症研究所
CSTS(Center for the Study of Traumatic Service)CSTS_FS_JPN_Caring_for_Patients_Mental_WellBeing_During_Coronavirus.pdf