中島宏著『クリスト・レイ』第117話

 もし、マルコスが指摘するように、私に個性的なところがあるとすれば、きっとそういうものが知らない間に、私の中にも入り込んでいて、それが影響しているというふうにも考えられるわね。
でも、もしそうであるとしても、私はそのことについては別に何もこだわっていないわ。あなたが言うように、それがこのブラジルでは、当たり前だということであれば、むしろ、その個性を大切にしなければいけないかもしれないわね」
「僕とアヤとの会話が、思いがけずうまくかみ合っていくのは、まさにその個性の部分があるからだと思います。そこに、アヤの持つ不思議さと魅力があるということでしょう。これは言ってみれば、滅多には見られない現象ですよ」
「まあ、現象だなんて、こんなときにはそういう表現は使いません」
「いや、非常に珍しいことが起きる場合は、珍現象ともいうでしょう。日本人女性としてのアヤの個性は、まさしくそれですよ。あなたの周りを見たらそれがよく分かりますよ。このゴンザーガ区に暮らしている人たちの中で、アヤに似た、あるいはそれに近い女性は誰もいないでしょう。それだけあなたは希少価値的存在ということですよ。個性という面から見れば、アヤはすでに日本人を離れて、ブラジル人になっています。それをつまりは珍現象と呼ぶのです」
 ブラジルに住む日本人にとってこのとき、広大な大地には冷たい風が吹き始めていた。しかし、マルコスとアヤの間にはそれとは逆の、春風のような暖かい風が吹き抜けている。
 あるいはそれは、束の間のものなのかもしれないのだが、そのことを二人は非常に貴重で、何事にも代えがたいものというふうに感じ取っていた。

春の嵐

 上塚植民地の中の、このゴンザーガ区に住む人々の大半は、前述したように日本からの隠れキリシタンの流れを汲む者によって占められていた。
一九三0年代のこの時期、この地域には子供を含めて、およそ五百名近い人々が住んでいた。
 とうもろこし、綿、米、落花生などの短期収穫を目的とした作物の他に、長期的な収穫源としてのコーヒーも共に栽培していた。もともとこの辺りは原生林を開いて造られた畑なので地味が良かったのだが、ほぼ二十年に亘る農地の使用によって徐々に疲弊していき、アヤたちのこの時代には地力がかなり低下していて、開拓初期当時のような収穫は望むべくもなかった。
 しかし、それでも手入れを怠らない農地では比較的安定した収穫が得られた。ただ、年によって雨が多いときと少ないときの差が大きく、毎年、間違いのない量の収穫には繋がって行かないという問題はあった。
 この地での長年の農業の経験から、そのような周期があることが分かってからは、人々は、不作の年でも、それほど慌てることはなくなっていったが、最初の頃は天候に左右される農作物の成績に一喜一憂し、必要以上に有頂天になってみたり、絶望的になったりしていた。