国際的チェロ奏者目指す日系子弟=オーストリア名門大学入学=群馬育ちの村元ルーカスさん

村元ルーカス

村元ルーカス

 「将来はチェロ演奏家としてヨーロッパで活躍し、ブラジル音楽界にも貢献できる人物になりたい」――来社した村元ルーカス(20歳、三世)さんは、そう笑顔を浮かべた。村元さんは、日系ブラジル人の父とイタリア系ブラジル人の母の間に生まれたデカセギ子弟の日系三世。サンパウロ州イタポランガ市出身で、1歳の時、父のデカセギ就労のため、家族で群馬県高崎市に移住した。父は現在も日本の工場で働いており、母は大学の非常勤英語講師をしながら、昨年早稲田大学を卒業したという。

 村元さんは現在、オーストリア・ザルツブルクに単身住み、音楽の名門国立大学ザルツブルク・モーツァルテウム大学に通い、チェロの練習に励む毎日だ。
 村元さんと音楽との出会いは8歳の時。高崎市にきたジュニアオーケストラに親の勧めで入り、数カ月バイオリンの体験レッスンを行ったことだ。「当時は音楽に興味が無く、イヤイヤやっていました。その証拠によくトイレでサボってましたよ」と恥ずかしげに頭をかいた。
 その後、音楽に興味を持ち始め15歳の時にチェロの練習を自ら始めた。当時、ブラジル人のチェロ奏者アントニオ・メネセス氏がたまたま東京に公演に来ており、本人とコンタクトを取り、目の前で演奏してみせた。スイス在住で、欧州で活躍する有名奏者だ。
 その際、アントニオ氏からレッスン教室に通うよう勧められ、東京芸術大学関係者のプライベートレッスンを受けるようになった。「あの時はメネセス先生のことは知らず、友人からブラジル人という共通点を教えてもらい連絡したことがきっかけでした。でもその出会いから今でもチェロを続けていて本当に感謝しています」と語る。
 村元さんの中で生まれ故郷ブラジルを知りたいという思いが芽生え、16歳の時に単身ブラジルに戻った。当地で高校に通う傍ら、サンパウロ州立交響楽団(OSESP)アカデミーに通って練習するなど腕を磨いた。
 ヨーロッパでの活躍を目標に持ち、オーストリアとハンガリーで行われたコンクールの際、友人からの勧めもあって、現在の大学を受験し19年6月に入学を果たした。
 ルーカスさんはこの二カ国でのコンクールの際、航空運賃すらなく、在サンパウロ総領事館公邸で演奏を披露して寄付を募ったこともあった。「あの時は本当に緊張しましたが、資金が工面できたので本当に助かりました」と振り返る。
 両親には、「ブラジルに行く時も、オーストリアの大学を受験する時も最終的に理解を示してくれました。今でも生活費を工面してくれて本当に感謝しています。将来はヨーロッパで活躍し両親を喜ばせたいです」と笑顔で答えた。
 好きな音楽家を聞くと、チェロ奏者のアントニオ・メネセス(ブラジル)、ムスティスラフ・レオポリドヴィチ・ロストロポーヴィチ(ロシア)、ダニール・ボリソヴィチ・シャフラン(ロシア)。バイーア出身のピアニスト、リカルド・カストロだという。
 「中でもリカルド・カストロは世界の有名なコンクールを総なめで入賞し、地元バイーアにソーシャルプロジェクトで学校Neojibaを作りました。将来、このような音楽界を支える活動ができるように頑張りたいです」と目を輝かせた。