中島宏著『クリスト・レイ』第119話

 アヤにとって、そこには何の問題もなかった。ただ、移民としてこの国にやって来た一世の人々の間には、この変化に対してかなりの動揺があった。
 ブラジル人社会との接触がほとんどなく、日本人同士で固まって、日本の風習や、日本語にこだわって生きて来た日本移民の人々にとって、これらの規制は誠に頭の痛い問題であり、何年もこの国に住みながらろくにポルトガル語も話せない状況から、いきなりブラジル人式に変更せよと言われても、それはまるで不可能なことであった。
 が、しかし、それが政府からの命令であれば、従わないわけにはいかない。
 いきなりという形ではなかったにしても、この外国人に対する規制は、ほぼ、すべての外国人移民を直撃し慌てさせた。外国語による学校が閉鎖され、外国語による新聞が禁止され、ポルトガル語によるブラジル学校への入学がすべての児童たちに義務付けられた以上、外国語の使用そのものにも何等かの規制が行われるであろうことは明らかであった。
 ポルトガル語が話せない、移民して来て間もない人々はどうなるのか。
 いや、この場合、たとえ長期間この国に住んでいても、ポルトガル語が話せない外国人だっていっぱいいる。そういう人々はどうなるのか。
 そういう疑問があちこちで噴出するのだが、ブラジル政府にとって、そのようなことに一々関わっている暇もなければ、そこに考えを及ぼす余裕もない。世を挙げてのナショナリズムであれば、その辺りは有無を言わさず強制するという姿勢しかない。
 もっとも、ブラジルの国から言わせれば、何年もこの国に永住者として住んでいながら、ポルトガル語が話せないことこそ、理解できないということになる。そういう外国人ばかりが増えていけば、このブラジルの国はどうなるのか。政府の持つ杞憂もそれなりの根拠があった。
 ましてや、ヨーロッパで第二次世界大戦が勃発した今、外国人に対する警戒や不信感が増幅していくのも当然の成り行きでもあった。そして枢軸国の移民たちに対しては、その度合いがさらに高いものになるのも無理からぬことだったのである。

 一九四0年、第二次世界大戦が勃発してから一年あまりが経った九月二七日には、日独伊三国同盟が調印され、枢軸国と連合国との対立の構図が鮮明になった。この時点でもまだ、ブラジルは中立の立場にあったが、しかし、いずれこの国が連合国側について参戦することになるだろうということは、誰の目にも明らかであった。
 その為、枢軸国の移民たちである、ブラジルにおけるドイツ人、イタリア人、日本人たちは、当然のことながら敵国人という目で見られ、集会、組織だった行動に対して制約の輪が一挙に狭められていった。外国語による新聞、学校などが閉鎖の憂き目に合って不自由さを託っていた外国移民の人々に対してさらに、彼らの母国語での会話をも禁じるという、かなり厳しい措置が採られていった。
 この当時の戦況は、ドイツ軍が圧倒的な力で、デンマーク、ノルウェー、ベルギー、オランダ、フランスの諸国を占領し、さらにはイギリスのロンドン大爆撃を開始していた。要するにこの時点では、ドイツの破竹の勢いの進攻がヨーロッパでは起きていたのである。
 はっきりいって、今回の世界大戦の先行きは混沌としており、このままでは連合国側がじりじりと押され続け、むしろ不利な展開になっていくという状況にあった。