特別寄稿=時代に合わせて頭の切り替えを=今の日本に残る「旧い体質」=サンパウロ市在住  駒形 秀雄

東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長を辞任した森喜朗氏(もり よしろう、首相官邸ホームページ, via Wikimedia Commons)

 日本のオリンピック関係の会合で森(前)会長が「女が多くなると会議の時間が長くなる」と発言して、それを非難する声が高まりました。
 曰く、「女を見下した発言だ。男女同権の世の中なのに女姓をバカにしている」「欧米諸国では男女平等で、国を代表している女性も多い。オリンピックの日本代表委員がこんな発言では世界に対し恥ずかしい」などなど、です。
 なるほど「会に女の役員が増えると発言がバラバラになり、会としての結論を出し難くなる」のは、それはその通りと思う部分もあるのですが、公式に「ではそれで良いか」と聞かれると、色々思惑もあって、普通なら「ハイ、その通り」とは言えません。
 だから「公式にはまずい」ということになり、それを言ったら「会長としては不適切な発言です」と、右ならえで答える事になります。何しろこの世の中、半分以上は女性なのですから、これを敵に回しては勝てません。
 こうして会長は発言撤回、謝罪したにも関わらず、とうとう会長職辞任の羽目に追いやられました。

選手村の建設地

今の日本・昔の日本

 このトラブルの域外に居て、「思って居たことがつい言葉になって出たんだ。会長は日本でのオリンピック実現のために種々苦労もし、ここまで引っ張って来た功労者だ。この位の『失言』で辞めさせられるとはお気の毒だ』そう思った人も多数居たことでしょう。
 考えて見れば、(前)会長は現在83歳、終戦まで続いた日本的考え方や慣習が色濃く残る中で成人した人です。「組織の一員であるからには、会長や幹部が決めた方針に従うのが正しい」、家庭内で言えば「妻は夫に従いて」が家内円満の秘訣だ、と言う考え方が頭の底にあったのでしょう。
 森前会長が関与してきたスポーツ界などではスピード感のある即時の判断、統制の取れた行動が優先の世界なのです。
 この精神(MENTALITY)が戦後の民主主義、男女同権で育った近代女性には「全く受け入れられない」と映ったのでしょう。「そんな半世紀も前の古い考えを持った人を、国を代表するトップには置けない。時代に合わせて考え方をかえられない石頭には辞めてもらいましょう」となったのです。
 つまり、問題の本質は実は「女を見下している」という言葉そのものではなく、そのような意識がつい現れた「旧い体質」メンタリティにあるのです。
 別の言い方をすれば、組織の上に居座る旧い考え方の方式と、戦後の民主主義教育の新しい考え方の方式、その間のズレが今回の騒動の根本にあると言える訳です。
 そういう話はさておいて、1960年前後にブラジルへ移って来た私たち戦後移住者の頭の中はどうなっているでしょうか?
 若しかして、私たちの頭の中にある「日本」の姿は60年前に出て来た「日本」ではないでしょうか? 若い時に受けた印象は、懐かしさもあって、中々急には変わらないようです。
 故郷は緑に溢れ、小川も流れている。春には色とりどりの花も咲いて気分を明るくしてくれた。それに、無邪気に遊んだ友達、一緒に食卓を囲った父母や兄弟、そんな優しい土地のことが浮かんで来ます。
 一方、現実の今の日本は戦後の急成長などもあり、この私たちの懐かしい日本とは大分違ってきています。その変わっている今の日本、紙面の都合もありますので2、3の例を挙げて見ましょう。

国際化した日本人

 敗戦のショックを経て、日本は急成長、国も人も色々な面で変わりました。そんな変化を一言で言うと成熟化、国際化していると言う事でしょう。
 まず、分かり易い外見の違いを示すと、現在の日本人は良く育って背が高くなっています。私たちが日本を出て来た1960年ころの20歳男で言うと、161cmだった身長が2007年には173cmになっています。50年近くで10cm位高くなっています。世界の標準ではBAIXINHOと思われていた日本人も、今では背の高さではあまり”ひけめ”を感ずることは無くなったようです。
 更に一般に、アゴが細めの人が多くなったようで、今「イケメン」と言われる人は大体このタイプのようです。
 日本人の身長が伸びたのは食べ物、栄養面のバランスが良くなったことの他に、無理な労働をしなくて良くなった、社会的に目上の人からの抑圧感から解放されたことなどがあげられています。但し、この身長について参考までに申しますと、近年は伸びしろが少なくなって、ほぼ頭打ち(横這い)になっています。遺伝的要素があるのでしょうか。

身長が高い今どきの日本の若者たち

 次に注意をひくのは「日本人の言葉」です。日常使う言葉に外国語が多くなった。また、相対的に丁寧な言い方をするようになった、と感じられます。
 大分前になりますが、事務所に日本から若い社員がやって来ました。私の近くに来て「お水を頂いて来ました」というのです。私はその時は「ああー」と答えて話を始めましたが、随分丁寧な言い方をするものだなと思いました。
 私たちの感覚で言えば「水を飲んで来ました」が普通の言い方だから、です。この青年は上品なお母さんの言い方をそのまま憶えたのでしょうか。
 その後注意していると、日本語も何でも「お」を付けるのが多くなったようです。お料理にお野菜、お醤油にお塩、その内おご飯などと言うのでしょうか?
 日本の日常語に外来語(特に英語系)が多くなったと思いませんか? 日本語研究の武田先生によると、今では日本語の単語の10%以上が外国系なんだそうです。音楽などでも、多数の若い子が足を上げて英語交じりで歌うのが流行り。着物を着て「涙の連絡船ー」などと歌うのはオジン、オバンばかりになりました。
 そういう言葉を使って相手と話す表現ですが、これが素直に自分の気持ちを言うようになりました。「お宅の娘さん綺麗ですね」などと言われると、内心は嬉しくても「イヤーとんでもない、親が親ですから(美人など)とてもとても」と昔は謙遜して答えました。今の若い娘は屈託がない「有難う、お陰様で」とにっこり笑って肯定します。
 高校の野球などで地方の無名校の選手でも「ハイ、絶対優勝です」と答えます。日本もブラジルも気持ちの表現などは同じようになって来ました。

ダンスは音楽に合わせて

 この様に今の日本社会は色々と変化しています。ブラジルに住む私たちもTVや新聞で日本の様子は知っています(それにしても何でまあ、災害や大雪の話ばかり繰り返すのかねー)。
 多くはないが日本の人たちとの交流もあります。しかし、自分の頭の中にある日本のイメージと、現実に動いている日本の姿にはズレがある可能性があります。これは随時修正していかないと成りませんね。
 次にもう一つ注意しなくてはならないのは、自分の頭の中が固くなっていないか、考え方が自分中心に狭くなっていないかです。戦後この地に移って来た私たちは慣れない環境の中で、他人ばかりの競争社会の中で、自分の能力、腕一本、スネ一本を信じてガンバって来ました。
 逆境にも負けない強い精神が必要でした。毎日の生活を続ける時、物事を決める時、「俺はこれでやろう」と強い心を持って行動して来ました。それでつい「これが正しいんだ」と信ずることになります。
 しかし、長い間には周りが変化して、その自身の考えが合わなくなることがあります。
 年を取ると外部の風を受けることが少なくなり、また、その風を柔軟に受け止めることが難しくなってきます。
 こうして周りの異見や妻や子供の考え方とズレが出て来ると、「俺は何十年これでやって来たんだ。お前たちの考えはダメだ」と直ぐ怒ることになります。
 しかしそうなると、逆に家族や周りの人からは「ガンコオヤジ、頭が石より硬い。化石人間だ」と非難、排斥されることになります。
 努力して一家を、王国を築いて来た人には情けない、悲しいことです。
 そのような情けない事態にならないにはどうしたら良いか?
 世の中にはそれを教え諭す種々な本もあります。対応策を教えて呉れる偉い先生も居られます。しかし、その根本を考えて見ると、ここはやはり自分の方から時代の変化により添って、自分の考えを少しでも変化させていく事ではないでしょうか。
 日本語のビデオで時代劇やドラマを見るのも結構ですが、TVや新聞が報ずる世間の動きにも注意を払いましょう。家の外に出て、他の人とも話をするようにいたしましょう。
 そして親戚、家族などが集まった時に、ダマッテ居るばかりでなく、その場の話題に少しでも乗れるようにしましょう。そうする方が貴方の頭の働きを活性化させ、若々しく長生き出来る良策だと言いますから。
 この地に来て以来培ってきた自分の精神、信念をかえることはありませんが、周囲と調和出来るほどの度量(TOLERANCIA)は必要ですよね。
 ブラジルには良い言葉があります。「Vamos dançar conforme a música」(直訳「音楽に合わせて踊りましょう」だが、転じて「周りの流れに合わせましょう」の意に)
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