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「私は大丈夫」で本当に大丈夫か?

病院の周りで祈る人々(4日付G1サイトの記事の一部)

病院の周りで祈る人々(4日付G1サイトの記事の一部)

 東日本大震災から10年。先週はNHKやブラジルのニュースでも、震災地の今や被災を免れた人々の証言といった番組が続き、改めて、「私は大丈夫」「これだけは保管しておかなければ」などと考えて逃げ遅れた人が多い事を思い知らされた。
 他方、日頃から非常時について話し合い、逃げる手はずを決めていた家族や、「大津波が来る。逃げろ」と告げる人がいた地域の人は早めに非難して助かった。
 新型コロナも然りだ。「私は大丈夫」「大した事ない」と言う人がいると、周りも防御が甘くなる。だが、先を見越した人達が用意したワクチンの恩恵に多くの人があずかっている。感染拡大は津波ほど急激には来ないが、気付いたら逃げ場がないという事態は起こり得る。
 大急ぎで逃げ、大した事なかったと笑うのはまだ良い。だが、小馬鹿にしていて取り返しのつかない状態になれば、いくら泣いても後の祭りだ。
 ブラジルは1日の死者や感染者、1週間の平均の死者などが新記録を更新し続けており、全27連邦区分中、連邦直轄区と24州で集中治療室占有率が80%超、18州都の占有率は90%超という未曽有の状態にある。
 家族や知人を失った人や、感染しても入院不能という事態に背筋が凍る思いでいる人は増えているが、これはカーニバルなどで防御が甘くなった結果だ。自由には責任が伴うが、「私は大丈夫」と考え、責任を忘れた自由を行使する人がいる間は感染者や死者の減少は望めないし、結果はいずれ自分にも返ってくる。
 東日本大震災では昨年9月現在の関連死だけで3767人になった。コロナで治癒した人でも、後遺症に苦しむ人が多く、複雑な合併症で重症化する子供も増加中だ。
 前日から泊まり込みで接種を待つ高齢者の列、病院の周りで患者の回復を祈る人達の姿も報じられている。限界を感じつつ前線に立つ医療従事者を守り、関連死も含む犠牲者を減らす意味でも、責任ある行動や選択が求められている。 (み)